2004年09月06日
自信喪失症候群
世の中の人々を見ていて、周囲の人たちを見ていて、自分自身を見ていて、ふと感じることがあります。
「自信がなさそうだな」と。
多くの人が「自信喪失症候群」にでもなってしまったのではないかと。
仕事の現場でも、こういうシーンが日常茶飯事にありませんか?
誰かに仕事を頼もうとすると、「あー、私の能力ではその仕事はできそうにありません」と断られてしまうことが。
「自信がなさそうだな」と。
多くの人が「自信喪失症候群」にでもなってしまったのではないかと。
仕事の現場でも、こういうシーンが日常茶飯事にありませんか?
誰かに仕事を頼もうとすると、「あー、私の能力ではその仕事はできそうにありません」と断られてしまうことが。
仕事ではなくても、ちょっとしたことを頼もうとすると断られてしまうケースは多くないですか?
もちろん、断る本当の理由としては、面倒くさい、責任を負いたくないというのがあるのでしょうが、それだって、突き詰めていえば、自信の欠如に行き着くと思うのです。
私もそんなに自信家ではありませんが、それでも、話している相手が自信家なのかそうでないかは話し方や姿勢でわかります。
自信を持っていない人の場合は、提案されたことに対して否定的な言葉を発します。
相手の話を通して全体的には共鳴できたとしても、自分が共鳴できない部分から話を展開する傾向があります。
また、その場かぎりのお茶を濁すような発言が多いのも特徴です。
例えば、私が、「今がチャンスだから、こうやろうよ!」と話しかけたとして、自信のない人から返ってくる言葉は、「いやぁ、現実は厳しいと思うよ。言ってることはわからないことはないんだけどね」とか、「いい話ですね。機会があったらぜひやってみたいです」いったような感じかなと。
一見同調しているような発言をしつつ、暗に「自分はのる気はないよ」と言ってるわけです。
自信のない人は、自信がないわけだから当然行動に移ることはありません。
しかし、自信がない人がその症状「自信喪失症候群」に気づいていないかといえば、そんなこともないのです。
なぜなら、自分に自信をつけることをテーマにした本や前向き思考を身につけることをテーマにした本が世の中にあふれていることが何よりの証拠です。
そういうことをテーマにしたセミナーなども花盛りです。
物騒なことが多くなった世相のせいか、最近は、リスクマネジメントやセキュリティ対策の必要性も叫ばれるようになってきました。
その結果、多くの人が「こういうのは危険だから気をつけよう」、「危険には近づかないようにしよう」と考えるようになり、自らリスクを引き受けるような挑戦をしなくなりました。
リスクの伴う挑戦をしないわけですから、たしかにリスクに遭う確率は低くなりますが、一方で物事を改善したり、いい方向へ向うことも少なくなります。
政治家の年金未納はけしからん、景気が悪いのは政府の政策のせいだ、経営者に経営者としての責任観が欠如しているから不祥事が起こるんだ、、、こう口にする人は実にたくさんいるのに、こういう制度を作ったらどうだ、こんな政策をやったら景気が刺激されるのでは、こうなったら自分が理想の経営者になってみるか、、、と考える人が圧倒的に少ないのはなぜなんでしょうか。
人は、自信のあることについては堂々と、あるいは喜々として取り組みます。
自信があるから、物事を前向きに考えることができ、成功すると素直に喜ぶことができ、失敗してもそれを反省材料にできるのです。
自信家というのは、他人が無茶だ、大変そうだということに対しても意に介さず手を出します。
それが自信家の自信家たるゆえんなのですから。
自信には、大小の区別はないと思っています。
あえていうなら、小さい自信の積み重ねが大きな自信を生むのかもしれません。
もちろん、人によって、自分にとっての小さい自信は何で大きい自信は何でという基準みたいなものはあるのかもしれませんが。
私は、AOLが日本でサービスを始めた直後に仕事のコミュニティを創ったわけですが、立ち上げの際に当時お世話になったAOLのある関係者から、「仕事をテーマにしたコミュニティを盛り上げるのは大変かもしれないね」とコメントをいただいたことがありました。
このコメントに対し、私は、「そうですね」と儀礼的な言葉を返しつつ、心の中では「ちくしょー、絶対何がなんでも盛り上げてやるぜ!」と誓い、その日から地道な努力を続け、その努力の成果が少し出る度に小さな自信をつけ、それを繰り返しながら、気づいてみれば、周囲から「このコミュニティはずいぶん盛り上がっているね」と言われるようなコミュニティを創り上げました。
以前はなかったものでも、一度出来上がってしまうと当たり前のものになります。
組織もそうだし、習慣やルールもそうでしょう。
なかった時代を知らず、既にそれが存在することを当然のように認識している人にとっては、何かを創り上げた人の苦労や努力が実感できないがゆえに、それがどういうプロセスをたどるものなのか想像しにくいでしょう。
本来、自分ができないことをやり遂げた(やっている)人に対しては、一度は尊敬の念を抱くべきなのです。
そして、その人を認めつつ、一方で自分の価値観を創り上げていけばいいのです。
自信を持った人って輝いているよね。
自信ってどんなことでも見つけられるよね。
自信を持った人と仲間になりたいよね。
自信を持つと毎日が楽しいよね。
自信があると失敗してもリカバリーできるよね。
なんてたって、自信にあふれると、世の中が、生きてることが素晴らしいと思えるよね。
もちろん、断る本当の理由としては、面倒くさい、責任を負いたくないというのがあるのでしょうが、それだって、突き詰めていえば、自信の欠如に行き着くと思うのです。
私もそんなに自信家ではありませんが、それでも、話している相手が自信家なのかそうでないかは話し方や姿勢でわかります。
自信を持っていない人の場合は、提案されたことに対して否定的な言葉を発します。
相手の話を通して全体的には共鳴できたとしても、自分が共鳴できない部分から話を展開する傾向があります。
また、その場かぎりのお茶を濁すような発言が多いのも特徴です。
例えば、私が、「今がチャンスだから、こうやろうよ!」と話しかけたとして、自信のない人から返ってくる言葉は、「いやぁ、現実は厳しいと思うよ。言ってることはわからないことはないんだけどね」とか、「いい話ですね。機会があったらぜひやってみたいです」いったような感じかなと。
一見同調しているような発言をしつつ、暗に「自分はのる気はないよ」と言ってるわけです。
自信のない人は、自信がないわけだから当然行動に移ることはありません。
しかし、自信がない人がその症状「自信喪失症候群」に気づいていないかといえば、そんなこともないのです。
なぜなら、自分に自信をつけることをテーマにした本や前向き思考を身につけることをテーマにした本が世の中にあふれていることが何よりの証拠です。
そういうことをテーマにしたセミナーなども花盛りです。
物騒なことが多くなった世相のせいか、最近は、リスクマネジメントやセキュリティ対策の必要性も叫ばれるようになってきました。
その結果、多くの人が「こういうのは危険だから気をつけよう」、「危険には近づかないようにしよう」と考えるようになり、自らリスクを引き受けるような挑戦をしなくなりました。
リスクの伴う挑戦をしないわけですから、たしかにリスクに遭う確率は低くなりますが、一方で物事を改善したり、いい方向へ向うことも少なくなります。
政治家の年金未納はけしからん、景気が悪いのは政府の政策のせいだ、経営者に経営者としての責任観が欠如しているから不祥事が起こるんだ、、、こう口にする人は実にたくさんいるのに、こういう制度を作ったらどうだ、こんな政策をやったら景気が刺激されるのでは、こうなったら自分が理想の経営者になってみるか、、、と考える人が圧倒的に少ないのはなぜなんでしょうか。
人は、自信のあることについては堂々と、あるいは喜々として取り組みます。
自信があるから、物事を前向きに考えることができ、成功すると素直に喜ぶことができ、失敗してもそれを反省材料にできるのです。
自信家というのは、他人が無茶だ、大変そうだということに対しても意に介さず手を出します。
それが自信家の自信家たるゆえんなのですから。
自信には、大小の区別はないと思っています。
あえていうなら、小さい自信の積み重ねが大きな自信を生むのかもしれません。
もちろん、人によって、自分にとっての小さい自信は何で大きい自信は何でという基準みたいなものはあるのかもしれませんが。
私は、AOLが日本でサービスを始めた直後に仕事のコミュニティを創ったわけですが、立ち上げの際に当時お世話になったAOLのある関係者から、「仕事をテーマにしたコミュニティを盛り上げるのは大変かもしれないね」とコメントをいただいたことがありました。
このコメントに対し、私は、「そうですね」と儀礼的な言葉を返しつつ、心の中では「ちくしょー、絶対何がなんでも盛り上げてやるぜ!」と誓い、その日から地道な努力を続け、その努力の成果が少し出る度に小さな自信をつけ、それを繰り返しながら、気づいてみれば、周囲から「このコミュニティはずいぶん盛り上がっているね」と言われるようなコミュニティを創り上げました。
以前はなかったものでも、一度出来上がってしまうと当たり前のものになります。
組織もそうだし、習慣やルールもそうでしょう。
なかった時代を知らず、既にそれが存在することを当然のように認識している人にとっては、何かを創り上げた人の苦労や努力が実感できないがゆえに、それがどういうプロセスをたどるものなのか想像しにくいでしょう。
本来、自分ができないことをやり遂げた(やっている)人に対しては、一度は尊敬の念を抱くべきなのです。
そして、その人を認めつつ、一方で自分の価値観を創り上げていけばいいのです。
自信を持った人って輝いているよね。
自信ってどんなことでも見つけられるよね。
自信を持った人と仲間になりたいよね。
自信を持つと毎日が楽しいよね。
自信があると失敗してもリカバリーできるよね。
なんてたって、自信にあふれると、世の中が、生きてることが素晴らしいと思えるよね。
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この記事へのコメント
1. Posted by 大西宏 2004年09月06日 19:47
よく思うんですが『自信』は、ものごとを煮詰めて考えた結果、つまり『確信』からくるんじゃないかと思います。最初から強気を貫くという人もいるでしょうが、そんな人は羨ましいですね。
良く考えて理にかなっていればやるべきで、やるべきと決めたらやるしかない。そんな風にして、いろいろチャレンジしてきましたが、いつも『自信』があったかというとよくわかりません。不安だらけだったのではないでしょうか。今も同じです。
何が起こるかわからないという不安の中で、だからどうすればいいんだ。何ができるんだと自分に問いかけ、課題を見つけ出していこうとする。不安だから課題を見つけないと居ても立っても居られない。不安だから、やるべきことはやる。やるべきことをやって駄目ならまた課題を探す。そんな繰り返しかなと思います。
ときどき、『自信』がないのではなく、真面目に考えない人がいますね。考えることを放棄してしまっている。考えないから、『確信』もなく、火の粉を振り払うように反対意見をとりあえずは言う。それは怠慢ですよね。
良く考えて理にかなっていればやるべきで、やるべきと決めたらやるしかない。そんな風にして、いろいろチャレンジしてきましたが、いつも『自信』があったかというとよくわかりません。不安だらけだったのではないでしょうか。今も同じです。
何が起こるかわからないという不安の中で、だからどうすればいいんだ。何ができるんだと自分に問いかけ、課題を見つけ出していこうとする。不安だから課題を見つけないと居ても立っても居られない。不安だから、やるべきことはやる。やるべきことをやって駄目ならまた課題を探す。そんな繰り返しかなと思います。
ときどき、『自信』がないのではなく、真面目に考えない人がいますね。考えることを放棄してしまっている。考えないから、『確信』もなく、火の粉を振り払うように反対意見をとりあえずは言う。それは怠慢ですよね。
2. Posted by ヨロン/竹内富雄 2004年09月06日 22:53
大西さん、こんにちは。ヨロンです(^_^)。
『確信』、そうですね、たしかにそうかもしれませんね。
真面目に考えない人という言葉で私のことかも、とドキッとさせられました(笑)。
おっしゃるように、自信をつけるうえで、その前の過程で一生懸命考え、そして実行する
というステップがあるような気もします。
考えること抜きで感情だけでつい反対してしまうということはままありがちではありますが、
私自身も意識したい点です。
『確信』、そうですね、たしかにそうかもしれませんね。
真面目に考えない人という言葉で私のことかも、とドキッとさせられました(笑)。
おっしゃるように、自信をつけるうえで、その前の過程で一生懸命考え、そして実行する
というステップがあるような気もします。
考えること抜きで感情だけでつい反対してしまうということはままありがちではありますが、
私自身も意識したい点です。