それぞれの連休の過ごし方、私の場合捨てて、捨てて、捨てて、、、その先に気付くもの

2025年05月05日

立場や地位ではなく、味のある人間になろう!

『牧野』(本所吾妻橋)瓶ビール
(あなたはどんな人間になりたいですか?)
50代以降の人生においては料理作りを趣味でも仕事でもやっているので、他人が作ったものであれ、自分で作ったものであれ、それぞれの料理を味わっては「料理っていいなぁ」とつくづく思います。
料理というのは、作り手、作り方、食材、調味料、その他諸々によって料理それぞれの味が出るんですよね。
これは人間も同じで、本来、人間というのは一人ひとり個性があって料理みたいに味があるものだと思うんです。
私は現在60歳で来月の誕生日を迎えれば61歳になります。
最近よく思うのは、これからは、立場とか地位とかではなく、一人の人間として味のある人間になろう、また、他人を見る時はその人の味に注目しようということです。

思い起こしてみると、20代から40代まで企業の正社員として働いていた頃の私は、とかく、他人を立場や地位で見てその人物像を判断し、自分自身も他人からその視点で見られ判断されているであろうと思い、自分の立場や地位を気にする人間でした。
簡単に言えば、他人も自分も受験勉強時の大学の偏差値で見るようなものでした。
有名な企業に勤めている人、高い肩書きの付いている人は立派な人、偉い人で、逆に無名の会社に勤めている人、肩書の低い人は大したことなく付き合っても益がない人、極端な言い方はすればそんな感じでした。
だから、大学卒業後は、大企業への就職、転職先も大企業、そして仕事人として目指すのはキャリアアップ(地位向上、年収アップ)というのが目標でした。


しかし、50代が目の前に迫り出した頃から、この考え方や生き方は、一人の人間としても仕事人としても違うと強く思うようになりました。
そう思うようになったのは、それまでに多くの人に出会い、多くの仕事人に出会って世の中の多くの仕事のことを知るようになったことが背景にあるのかもしれません。
自分の道(仕事)に信念を持って極めることに専念し、そして素晴らしい成果を出し続けている一人の名もない職人に出会った時などは、「うわっ、私にはこんな真似はできない!、私はこの人に勝てない!」、「私から会社の看板を取ったら何も残らない!、私は自分の地位を誇りにしているけどそんなものは何の役にも立たない!」と率直に思ったものでした。

私は現在非正規雇用の立場で調理補助の仕事をしています。
職種分類では調理補助ではありますが、実際は調理業務に従事し、現在の仕事においてはメインの料理をほとんど一人で調理しています。
だから、実態は一人前の調理師としての仕事をしていることになります。
ただ、採用時の雇用契約がそうなっているのでそれがずっと続いているだけです。
他人から見れば「それは損する不利な契約じゃないか。交渉して正式に調理師としての雇用にしてもらえよ。それが無理なら転職しろよ」という意見もあるかもしれませんが、私自身は、「いや現状のままで別に構わないよ。なぜなら、今は好きなように仕事ができているし、仕事の成果は評価してもらえているし、それに、立場や地位へのこだわりはないし」というのが本音です。

60年生きてきたといっても、私は自分のことをまだ未熟な面が多いと考えています。
そんな私でも、他人と出会って会話を交わしてみた際、「この人とは今後とも付き合いを続けたい」とか、「この人とはもう付き合いたくない(仕事絡みの時はしかたなく付き合うこともありますが)」と感じることがあります。
その判断基準は、相手が味のある人間かそうでないか、という点にあります。
味のある人は、その時の立場や地位に関係なく目の前の相手に一人の人間として接してくれます。
逆に、味のない人は、その時の立場や地位で相手を見て、自分より優位者であれば低姿勢になり、劣位者であれば見下す態度をとります。
人の振り見て我が振り直せ』ということわざもありますが、最初から立場や地位で他人を判断するような人にはなりたくないものだと思う今日この頃です。

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yoron at 08:18│Comments(0)仕事人の叫び 

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