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2024年03月17日

名刺はたんなる情報だと思え

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(名刺に囚われてしまっていませんか?)
組織に長く所属し、肩書なんかついてしまうと、それが仕事人としての自分の実力だと勘違いする人がいます。
特に、大きな組織であればあるほど、肩書が高ければ高いほど、それを受け取った相手がへりくだった態度を見せることもあるので、そうすると何だか自分のほうが上のような気になってしまうというのはよくありがちです。
TVドラマのシーンではありませんが、高級クラブのママなんかが「すごいところにお勤めなんですね!」などとお世辞の一つも言おうものなら、クラブ素人のサラリーマンなんざぁ舞い上がってしまうことでしょう(笑)。

こういう生き方で定年まで勤めた人の中には、プライドだけはずっと高いままで、再びどこかの組織に属し、何かしらの偉そうな肩書きを欲しがったりします。
そして、その組織、その肩書きが印字された名刺を持ちたがります。
実は私もかつてはそんなタイプの人間でした。
若い頃、大企業を退職して無職生活をしていた時、他人に会う際に一個人として対面する覚悟がなく、適当な名刺を作って持ち歩いていたことがあります。
相手が名刺を差し出した時にこちらが名刺を出せないことを恥ずかしく感じていたからです。
それだけ組織の看板というのは個人の生き方に影響を与えていたんでしょうね。


しかし、正社員をやめ、アルバイト・パートという非正規雇用の働き方をし出してからは一度も名刺を持っていません。
仕事で名刺を使う機会がないというのもありますが、名刺を持ち歩かず、名刺を気にしない日常が普通になってみると、ずいぶん気分が楽になったし、名刺はたんなる情報でしかなかったんだなぁとつくづく思います。
こういう感覚になってからは、不思議と、相手からもらった名刺に何が書かれていようとあまり気にしなくなりました。
逆に、名刺ではなく相手を見てその人物がどういう人間なのかを判断するようになりました。
私からすると、こちらのほうがまともな接し方なんだろうなと思います。

学校を卒業してどこかの会社に就職すると、入社と同時にケースに入った立派な名刺が支給されるかもしれません。
この瞬間というのはとても嬉しいものです。
私自身がそうでした。
何の力もない新人時代に喜々としてその名刺をよく配ったものでした。
そういうスタイルを長年続けていると、名刺を持ち歩くのが、挨拶の初めに名刺を差し出すのが習慣になります。
それはある意味便利でコミュニケーションに役立つものではありますが、名刺に人生そのものを振り回されてしまっては人間として情けない生き方と言わざるをえません。
仕事上の名刺は名刺として、一個人の自分とは分けて考えたいものです。

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yoron at 08:13│Comments(0)仕事人の叫び 

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