人生の後半、“黄昏人生”を歩むのか、それとも“陽はまた昇る”思いで歩むのか人生において、リセット→リスタートは難しいけど必要だと思う

2023年01月08日

変化に適応しよう、右肩下がりのトレンドは変わらない

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(変化は身近なところや出来事で感じることができているのではありませんか?)
私はもう何年も前に新聞購読を止め、TVの受像機を捨て、本や雑誌を購入して読むのをほとんど止め、年賀状や暑中見舞いのハガキを出すを止めました。
その背景にあるのは、ネット環境が日本中に浸透し、また技術が進歩し、それに伴い人々の意識や行動が大きく変わったのを感じ取ったからです。
かつて、私が大学生の頃に就職先として人気のあった新聞社、TV局、出版社などは今や衰退業界と化しつつあります。
おそらく、こういった業界に属する企業は現在の事業をそのまま継続するだけでは衰退の一途をたどるだけで、関係している仕事人は意識を変え行動を変えていく必要があるでしょう。

今年、友人・知人から紙の年賀状を4通いただきました。
そのうちの3通は文面がワープロ文字だけのもの、そして1通はそれに手書きで「お元気ですか?」の一言が添えてありました。
これに対し私は1通も返信しませんでした。
昨今、年賀状の発行枚数はどんどん減っていっているようです。
それは当然といえば当然のトレンドです。
だって、ネットがこれだけ普及しているのですから、新年の挨拶なんて瞬時に送れるし、近況報告という点でいえば、SNSで頻繁に書き込み(情報発信)していれば最新の状況がわかります。
それに、以前であれば、SNS上で新年の挨拶を書き込めば、お互いにそれぞれのタイムラインに同様の挨拶文コメントを付け合ったりしていましたが、今は「イイネ」ボタンを押すだけですますというのが主流になっています。


要するに、どんどん手間が省け、簡略化しているのです。
そして、誰もそれを失礼だとは感じていません。
ものすごく情報発信する人であれば、常に自分の言動は関心のある人には伝わっており、また相手が「イイネ」ボタンを押していれば相手に伝わっている(相手が一応見てくれている)ことも確認できます。
それなのに、近況報告も兼ねてという思いで年に1回だけ出す紙の通信手段は何の意味があるというのでしょうか。
おそらく、出す人は、その行為にこだわり続けたいという思いと、ネットでつながっていない友人や知人もいるからという理由なのでしょう。
いみじくも、70代の知人が「いやぁ、昔から長年紙のハガキを交換し合ってきたんでなかなか止められないんですよ」と言っていましたが、私からすると、「自分のほうから止める旨相手にお知らせしてみてはどうですか(一方的に止めるとか)」と言いたくもなります。

私は現在、学生専用マンション(入居者の大半は大学生)の食堂で働いていますが、食堂の営業中は、壁掛けの大きな液晶ディスプレイで地上波のTV番組を放映しています。
しかし、ほとんどの学生はそれを観ません、ディスプレイの前の席に座っている学生でさえも。
その代わり、ずっと自分のスマホを観ながら、操作しながら食事をしています。
これが今の若い人の日常の現実です。
ということは、TV文化そのものがもはや右肩下がりのトレンドになっていることは間違いのない事実だということです。
私より上のTV世代がこの世から姿を消していくのに比例してますます衰退の一途をたどっていくことでしょう。
昔からよく言われていることですが、“生き残れるのは、強い者でも賢い者でもなく、変化に適応できる者”であると。
今のあなたは時代の、環境の変化にうまく適応できていますか?

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yoron at 10:22│Comments(0)仕事人の叫び 

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