人間バンザイ!

2016年11月20日

他人の視線を気にしながら生きるなんてバカバカしい、自分の価値観で生きれば気分は楽だ

私が住んでいる東京都北区という街は、一説によれば独自の価値観を持つ人が多く住んでいる街なんだとか。
そんなことを知らずこの街に引っ越してきたのが今年の5月で居住歴はかれこれ半年になりますが、この説を聞いて何だか嬉しくなりました。
なぜなら、今の私にはピッタリだからです。
男52歳、独身、一人暮らし、転職を繰り返し、低収入の仕事で貯金も少なく貧乏生活、他人から見たらやや哀れな生き方に見えるかもしれませんが、本人はささやかな幸せを感じながら日々生きています。
かつては何かにつけ他人の視線が気になったものですが、最近はほとんど気にならなくなりました。
学生時代の友人の多くは、結婚し、子供の親になっている人も多く、仕事も安定し、一見人並の生活をしています。
そんな友人の中には、私にこんなことを言う人もいます。
「お前も結婚しろよ」、「安定した仕事のほうが将来のためには賢明だぞ」と。
若い頃なら私もこの考え方を受け入れ、そういう方向で人生を歩みたいと望んだかもしれません。
しかし、今はそんなのはどうでもいいじゃん!って感じです。

そもそも、私の知る限りにおいても、結婚したけど離婚したり、結婚生活も長くなるにつれくたびれてしまっている人がいたり、夫婦仲がうまくいかず不倫に走ったり、子供のことで気苦労が絶えないとボヤく人がいたり、勤務先で活躍できず悶々として日々を送っていたり、安定していたはずの勤務先をリストラされてしまった人がいたり、会うと仕事上の不平不満ばかり口にする人がいたり、自分より立場の弱い人を見下す態度をとる寂しい大人になっている人がいたり、、、どう見ても、幸せな生き方をしているようには見えないような人たちもいます。
想像ですけど、そういう人たちは、人並の生活をする、あわよくばそれ以上の生活をする、というのを目の前の目標にして生きてきたのかもしれません。
そして、その先にあったのがそういった人生であったなら、もしかしたら後悔の念もあるのかもしれません。
たまに私にこんなことを言う人もいます。
「私もお前のような生き方がしたいよ、やりたい仕事をやってさ、独身で自由気ままな生活をしてさ」と。
冗談半分で何気なく言った言葉だったにしても、少し本音の部分もありそうな気がします。

今はどうか知りませんが、かつて、日本企業は村社会だと言われたことがあります。
村社会なので村の掟があって、村の慣習があって、それに従うことがよしとされ、少しでもはみ出たことをすると村八分の目に遭い、そんな窮屈な世界が日本企業だったわけです。
一方で、それに慣れるとお互い似たような価値観なのでやりやすいことも多いし、そこを飛び出さないかぎりは生活もそこそこ安定したのです。
そういう場に息苦しさを感じて飛び出した人間は、その後、うまくいく人もいれば、私のように不安定な生き方をする人もいます。
ただ、飛び出すような人間はどこかで他人の視線を気にしながら生きるなんてバカバカしいと思っているので、自分の価値観を大事にしています。
自分がそういう人間だから、他人がどう生きようがそれは他人が決めることだと考えており、だから他人の生き方についてはとやかく言いません。
逆に、見ていると、他人の言動を気にする人ほど、自分の生き方には何の関係もないはずの他人の生き方にまであれこれ口をはさんでいるような気がします。
まっ、何であれ、自分の価値観で生きれば気分は楽なんだなとつくづく思う今日この頃です。

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2016年10月31日

他人を見る時は、人の魅力はそれぞれ、人は変わるもの、と念頭に置くべし

例は悪いのですが、目の前のカップルを見てこう思ったことはないでしょうか。
「なんでこんなにいい男なのにこんな女を選んだのだろう」、「なんでこんなにいい女なのにこんな男を選んだのだろう」、「なんでこんなに若いのにあんな年上の人を選んだのだろう」、「なんでこんなに年食っているのにあんな若い人をひきつけられたのだろう」と。
当人たちにとってみれば余計なお世話なのでしょうが、他人の見方は往々にしてそういうものです。
そこには好奇心とか嫉妬とかそういったのが含まれています。
当人たちの関係にフォーカスすると、人は誰かに魅力を感じる時、自分の価値観とかその時の心境を大事にします。
これは自分の人生を振り返ってみるとよくわかると思います。
自分が何かを成し遂げたいと強く思っている時に、その気持ちを理解してくれ大いに協力してくれる人がいたら、その人に感謝の念を抱き、異性であればひかれていくことでしょう。
また、何かで挫折し傷心状態にある時に優しくしてくれる人がいたら同様にひかれるでしょう。

私の知り合いの若い女性に、誰かと一緒にお酒を飲む時、特に異性と飲む時は、かなり年長の男性相手のほうが楽しく、美味しく飲めるという人がいます。
彼女に言わせると、同世代の若い男性は言動が子供っぽくて嫌なんだとか。
その点、年上の男性は包み込む包容力があって、さりげない気の遣い方ができたり、話題の展開力があったりして魅力的なんだとか。
そう感じる若い女性が現にいることを考えれば、若い女性と年輩の男性のカップルができるのは不思議ではありませんね。
『蓼食う虫も好き好き』ということわざもありますが、誰かが誰かに魅力を感じる時、そこには人それぞれの感じ方があるのでしょう。
だから、他人がとやかく言うことではないのかもしれません。
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2016年09月09日

贅沢なる貧乏生活?

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(シンプルだが満足)
私は現在無職、今年の3月に前職を辞めて以来この生活も半年目に突入。
そろそろ新しい収入源を見つけないと生活費面が苦しいなと思いつつも、そう簡単に見つけられないことは重々承知しており、焦ってもしかたがないのでマイペースでたんたんと日々を過ごしているといった状況です。
時々、「まだ仕事しないの?」と聞かれることがありますが、こんな質問は愚というものです。
なぜならば、仕事が決まれば当然仕事をするわけで、決まっていないから仕事をしていないのであって、極めて当たり前のことなのでありますから。

ところで、収入がなければ支出を抑えることが重要であることは自明です。
大金持ちでなければ、ちまちまと節約に励むしかありません。
私も今はそんな生活を続けているのですが、もしかしたら、「貧乏で大変そうだなぁ、気の毒だなぁ」などと同情する人もいるかもしれません。
しかし、人がどこで幸福を感じるかなんてことは他人にはわかりづらいもの。
例えば、私は、どこかに出掛けると出費することが多いので用事がないかぎりは自宅にひきこもっているのですが、そんな日常にあって、ネットしたり、自炊で自分の食事を作るのをとても楽しみにしています。
特に、料理については、安い食材を買ってそれをいかに美味しく調理するかを考えながら工夫するのがとても楽しいんです。

いずれまた仕事の現場に復帰するとは思いますが、今は仕事のプレッシャーもないし、対人関係でのストレスもないし、長時間労働での時間拘束もないし、ある意味もっとものびのびとできていて自分らしさを発揮できているような気がします。
考えてみれば、これって私自身にとって最高の贅沢な時間の過ごし方ではないかと思うのです。
ということで、今の生活を“贅沢なる貧乏生活”と呼ぶことにしました。

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2016年08月16日

我が身を“その状況”に置くことでわかる自分の思考と行動

今年の3月に仕事を辞め、以来無職無収入の身になって5ヶ月目。
そんなに蓄えがあるわけでもないので金銭的な余裕はそれほどないのではありますが、かといって飢えで今日明日にでも餓死しかねないほどの極限状態に置かれているわけでもないので、もうしばらくしてから職探しをして仕事にありつき、再び収入を得て生計を立てるようにしたいと考えながら日々を過ごしている今日この頃。
こういう生活スタイルは過去に何度か経験しているので、まぁ、ある意味慣れたものです。

金銭的に余裕がそれほどない状態で無職無収入の身になると、最大の関心事で最優先することは何かといえば、極力お金を使わないようにすること。
だから、前職を辞めた時にまず手始めに私が取り組んだのは、引っ越しをして家賃を下げること、固定費でかかっていた諸々の契約の解除やその費用の削減(生命保険の解約、ネットサービスの解約、通信費の契約プランの見直し等)、等でした。
その次に取り組んだのが、外食費の削減(自炊の増加)や買い物の抑制。
特に買い物については、会社勤め時代に比べ、同じ物ならなるべく安い物を買うという傾向が強くなりました。
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2016年08月14日

自分なりの“ちょっとした楽しみ”があれば、翌日も頑張れる

『二軒目』(目黒)瓶ビール、お通し
(ちょっとした楽しみって大事だよね)
前職ではまったく未経験の割烹料理店の板前見習いの仕事をしましたが、上司による苛烈をきわめる指導法に心が折れそうになる日々でした。
仕事日はほぼ毎日終電近くまで仕事漬けでしたが、たまに少しだけ早く仕事が終わる時があり、その時は行きつけのバーに立ち寄って軽くやるのが私なりの“ちょっとした楽しみ”でした。
バーで一人自分の世界に浸り、マスター相手に世間話したり、仕事上の愚痴を聞いてもらったり、偶然知り合いに遭遇すると楽しい話題で盛り上がったり、そういう時間を過ごせると傷ついた心がずいぶん癒されたものです。
前職時代だけでなく、仕事人人生を振り返ってみると、このスタイルって実は新人時代からあったんですよね。
長い間外食ばかりしていたのですが、仕事帰りには誰かと飲みに行かなければ、一人でどこかの定食屋などに立ち寄って晩ご飯を摂るのが常で、その際、食事と一緒にビールなどを飲んでほろ酔いになって自分の世界に浸る、その時間が仕事で疲れた自分を癒してくれたのです。

仕事人にとっては仕事を続けることが大事なんだけれど、何でもそうでしょうが続けるというのは簡単そうで実際はなかなか難しいものです。
仕事上の習慣でやったほうがいいとわかっている習慣でも続けるのはなかなか難しいですよね。
書類の整理や身の回りの整理・整頓が大事なことは他人に指摘されてなくてもわかっているはずなのに、若い頃からそういうのが苦手なせいかいつも整理ができず雑然としていたり。
当たり前のことだと思って実行している人は、「何で簡単なことができないんだ」と思うかもしれませんが、思考回路の違いなのか、できない人は本当にできないんですよね。
かつて勤めた大企業で、上司だった部長は書類の整理・整頓が苦手でいつも机の上にたくさんの書類が平積みされていました。
ある時、常務がその部長のところにやってきた時、開口一番に出た言葉が、「机が汚い!。こんなんじゃ仕事なんかできないぞ!」でした。
当時の私にとっては、部長は頭脳明晰で仕事ができる人だったのですが、さらに上の人から見たらそういう見方をされるのかと驚いたものです。

そんな部長の個人的な楽しみは読書だったみたいで、たまに会話するとその読書力がすごいことがわかりました。
おそらく、立場上仕事でいろんな辛いことや苦しいことがあったでしょうが、時間を見つけてその楽しみを味わうことでそれらを乗り越えたんだと思います。
想像ですが、どんなに疲れて帰宅しても、就寝する前の束の間の時間を利用して読み掛けの本を開いて読めるところまで読み、そして本を閉じて、「よし、明日も仕事を頑張って、帰ったら続きを読もう」と気持ちを奮い立たせていたとか。
実は私も読書好きなので、そんな光景が何となく浮かんだんです。
私がよくそんなことやっていましたから。
仕事帰りに友人や職場の同僚と飲みに行ったり、食事に行ったりするのが好き、映画を観に行くのが好き、彼氏や彼女とのデートの時間が楽しみ、自宅に帰ってTVドラマを観るのが楽しみ、ネットするのが何よりの癒しの時間、自宅で料理を研究するのが好き、旅行が大好き、、、人それぞれ楽しい時間のつくり方は違うでしょう。
ただ、自分なりの“ちょっとした楽しみ”があれば、翌日も頑張れるのではないでしょうかね。
それが、結果的に継続につながり、『継続は力なり』のことわざ通り、仕事人としての力を培っていくんだろうと思います。

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2016年08月07日

自分の未来は、今考えていること、思い描いていることの延長にある

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(未来は今の延長線上にある)
以前、知り合いの女性がこんなことを言っていました。
自分の将来像って、今思い描いている“こうありたい(こうなっているだろう”という姿通りになるよね。逆に、まったく思い描いてもいない姿には絶対なりえない」と。
その時は人生経験が浅かったこともあり彼女の言葉がピンとこなかった気がしますが、人生経験を積み重ねて年取ってみると、本当にその通りだなぁと改めて思います。
20代の頃に今の自分を想像できたかといえば正直想像はできませんでしたが、ただ、1年先、2年先、数年先ぐらいの短いスパンで自分のなりたい像を追いかけてきた結果の延長に今があることは間違いありません。

高校生の頃、東京での大学生活を夢見、大都会で切磋琢磨しながら生きている自分の姿を思い描いていたらその通りになったし、就職後は、仕事人人生を1社でまっとうせずいろんな会社でいろんな経験を積みたいという考えを持っていたら、仕事人人生はその通りに進んできました。
今は、一人暮らしで、無職で自由な時間を謳歌する日々ですが、これも以前にこういう生活を送りたいと考えていたからその通りになっているだけです。
私の人生は、今の段階は人生の後半戦といったところでしょうが、今後進んでいくであろう道は今思い描いている数年先の自分の姿を目指すもののはずです。

定年後はのんびり暮らそう、適度に仕事しながら暮らそう、何か夢中になって活発に暮らそう、生活が大変なのでとにかく仕事を頑張りながら暮らそう、、、『思考は現実化する』(ナポレオン・ヒル)という有名な言葉もありますが、その考え方の延長にその人の将来はあるでしょう。
もちろん、突然の事故や病気、あるいは事件に巻き込まれたりなど、不測の事態に直面することもあるかもしれませんが、それはしかたないこととして、そうなった場合でも、その時点を境に考える自分の生き方が自分の未来をつくっていくんだと思います。
まぁ、そう考えてみると、「今、何を考えるか(自分の将来像をどう思い描くか)」ということはとっても大事なことなんだなぁとつくづく思うわけです。

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2016年08月01日

今、「歴史上の人物で誰が好きか?」と問われれば、「大石内蔵助」と答えるだろう

あなたは、今、「歴史上の人物で好きな人は誰かいますか?」と問われたら、「この人が好きです」という人が誰かいますか?
あなたがその人を好きなのはどうしてですか?
私は、今であれば、「大石内蔵助です」と答えます。
この人は、主君の仇討ちをしたあっぱれな家来として有名なので、一種の美談として多くの人が知っているでしょうし、彼を好きな人も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。

なぜ彼が好きなのかといえば、私は彼を詳しく研究したわけではありませんが、本当は主君の仇討ちを果たすという強い意思を持っていながら、それがあからさまに周囲に伝わっては計画が失敗すると感じ、虎視眈々とタイミングを見計らいながらも、時には味方さえだまし、周囲からは「昼行燈(昼にともす行灯のように、役に立たない)」と嘲笑され、事を果たすまではのらりくらりの姿を見せつつ、一方では密かに自分についてくる家臣を見極め、結束させ、最後には目的を完遂する、というまさに戦略家として優れている人物であったことです。
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2016年07月29日

他の動物から学べることは案外多いものだ

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(猫から学ぶ)
SNSで私とつながっている人の中には、私がこのところ頻繁に猫観察に関する投稿をし続けているので、私を猫好きな人かなと思っている人もいるかもしれません。
あるいは、私は現在無職ですが、日がな一日猫観察ばかりしているなんて暇な人間だなぁとか、他にもっとやることはないの?と思っている人もいるかもしれません。
実は、私はこれまでは猫好きだったわけではありません。
かといって猫が嫌いだったわけではないのですが、長い間猫のいる環境とは無縁で暮らしてきたので猫にあまり関心を持っていませんでした。
そんな私がなぜ急に猫に関心を持つようになったのかといえば、今年の5月に引っ越した先の環境がたくさんの野良猫(地域猫)がいる環境で、かつ、我が家のすぐそばで行動している姿を目の当たりにできる環境だったからです。

最初は、何気なく眺めているだけでした。
人慣れした猫はかわいいし、一つひとつの仕草が面白く、何となく憎めないので、猫っていいもんだなぁと思っていました。
ただ、ぼーっと眺めているだけだから、その行為自体を無益に感じすぐ飽きてしまうだろうと思っていました。
しかし、当初の思いに反し、ぼーっと眺めていたのから、最近は積極的に眺めるようになっているのです。
なぜそういう変化が起きたのかといえば、猫観察をしながらわかってきたのですが、猫にはいろんな習性があって、行動によっては人間社会と同じ面もあり、けっこう自分の生き方について参考になる部分も多いと気付いたからです。
あるSNSメンバーに言われたことがあります。
「あなたの猫観察記は面白い。あなた自身面白がっているでしょう」と。
いやぁ、まったくズバリのご指摘です。
見る(読む)人が見る(読む)とわかるもんだなぁと。
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2016年07月27日

「面白い!」と感じた経験はとても大事、そういう経験をしていないと面白みのない人間になる

誰かと話しをしていて、誰かと行動を一緒にしていて、「この人の話しは面白くないなぁ(つまんないなぁ)」、「この人は面白みがないなぁ」と感じたことはありませんか?
そう感じた時、その後、その人とあなたの距離はどうなりますか?
おそらく、その人とあなたの距離は遠ざかっていくのではないでしょうか。
そして、その行動はあなた自身がとるでしょう。
「もうこの人とは話したくない」、「もうこの人とは行動を一緒にしたくない」と。
仕事上やむをえず付き合いを続けざるをえないような場合でも、心的距離はどんどん離れていくでしょう。
そんな状況を想像すると、面白みがない人間と他人に感じられてしまうことが、人間関係においていかに損をするかということがわかります。

もちろん、“蓼食う虫も好き好き”ということわざもある通り、ある人には面白みのない人間と思われても、別の人からは面白い人と思われることもあるので、誰かに面白みのない人間と思われてもそれほど気にすることはないかもしれません。
例えは悪いですが、社交的でなく口べたでややネクラな性格で周囲からは敬遠されがちな人でも、気の合う人は誰かしらいるものです。
ビジネスの世界では、そういうタイプの人が偉業を成し遂げたり、すごい成果を出したりすることもあるから不思議です。
そういう面では、世の中はうまくできているものですね。
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2016年07月26日

50代になってますます意識するのは、“等身大の生き方”

自分の過去の生き方を思うと、けっこう無理して、自分に嘘をついて、他人にも嘘をついて、ずいぶん背伸びした生き方をしようとしていたなぁと。
ロジカルシンキングなんてものにはまっていた時は、目標は手の届きそうなレベルではなく、かなりストレッチしないと届かないレベルに設定したほうが自分を伸ばせる(成長できる)と信じ込んでいました。
そうなのかもしれないし、それで伸びる素質や根性を持っているならそれはありかもしれません。
しかし、世の中の現実は、それがすべての人に当てはまるわけではないことを物語っています。
まぁ、人生のある時期、そういうことを学び、信じた経験をしたというのは経験の一つとしてよかったのかもしれませんが。

私は今50代ですが、最近の心境としては、“等身大の生き方”をしたいということでしょうか。
これぐらいになると、自分がどういう人間かというのはだいたいわかるし、何を大切に思っているか(価値観とでもいいましょうか)ということもわかるし、どういう生き方が自分を充実させてくれるかもある程度わかるものです。
大企業の社長と中小企業の一社員では、働く、食べる、寝る、運動するといったような行動は言葉としては同じかもしれませんが、スケールも思いの強さも違うはずです。
その違いをまったく無視して、中小企業の一社員に向かって大企業の社長のような考え方や行動をしろと説いても意味のないことです。
『人を見て法を説け』ということわざがありますが、他人に何かを理解してもらうためには一番大切なポイントですね。

人によって個人差はあるでしょうが、私の場合、50代になってからは、40代までと比べて明らかに体力・気力ともに落ち、かつ記憶力も落ちています。
稼ぐ力も落ちています。
会社・組織で働いている人であれば、自分の限界に気付いているでしょうし、近づいてくる定年退職のその日のことを考え、それ以降の人生についても思いをめぐらしているでしょう。
そういうことを自覚しながら、人生の後半をどうやれば充実したものにできるかと考えた時、今時点での私の結論は、“等身大の生き方”をすることでした。
誇張も虚飾もせず、ありのままの姿で、自分の真の実力に合ったことをする、そんな自分を好きになる、それでいいんじゃないかぁと思う今日この頃であります。

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yoron at 08:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック