人間バンザイ!

2019年09月18日

人生の先輩たちの後姿を見て、「いつか自分も」と想像することは大事なことだ

農道一本道
(老人笑うな、己もいつか行く道)
かつて同じ会社で働いた人生の先輩(70代)が、その人の友人(同世代)の父親が死んだという報を聞いた際に、「次は私たちの番だね」とポツリと漏らしました。
他人の訃報に接すると「ご愁傷様です」、「謹んでお悔やみ申し上げます」などと哀悼の意を表することが世間一般の慣習ではありますが、年がいっている人ほど内心では他人の死を自分の死に置き換えて考えているものです。
だから、先輩が漏らした言葉はまさに本心といったところでしょう。
そして、私もまた先輩の言葉を受け先輩の次は私の番だと思いました。
私は現在55歳ですが年々還暦に近づいており、還暦という地点を過ぎれば時は容赦なく過ぎていくので死はますます身近な問題になっていきます。

実のところ、私は数年前から私なりの終活を始めています。
私は都会で独身一人暮らしなのですが、自分が死ぬ時はなるべく周囲に迷惑をかけたくないと思い、持ち物類を極力減らしていこうと日々断捨離に努めています。
かなりいろんな物を捨てたので今は部屋がかなりすっきりしています。
今後とも不要と判断した物は捨てていく予定で、それこそ体力気力的に仕事人を引退せざるをえない環境になった時には、日常生活を最低限営める程度の持ち物が身近にあればいいと思っています。
布団(毛布)、冷蔵庫、食器、少しの衣服類、いくばくかのお金、その他必要な物。。。

20代、30代のような若い頃は死が近づいているような遠い将来のことまでは考えないものかもしれませんが、でも、例えば、20代の人であれば30代の先輩、30代であれば40代の先輩という感じで少し上の世代の人の後姿を見ながら自分の人生の参考にできる部分を取り入れることはできるはずです。
40代以上になれば、組織で働いている人であればさらに上の先輩たちの後姿から自分の行く末もある程度は予想できるでしょう。
そして、ほとんどの組織では定年制を設けていますから、定年に達し組織を去った先輩たちのその後の人生は自分が組織を去る時の参考になると思います。
現在仕事人として働いている人も、いつしか働けなくなり、そして最終的には肉体的・精神的衰えとととも死にゆく運命です。
それが人間の一生であるのだから、人生の先輩たちの後姿を見て、「いつか自分も」と想像することはとても大事なことだと思うわけです。

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2019年09月14日

自分ができることを着実に、確実にやることが幸せへの道

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(本当に幸せになることを望んでいるのなら、やるべきことはひとつ、それは、、、)
以前、金融庁の報告書に老後資金は2,000万円必要といった文言があって世間で問題視された出来事がありました。
あまり世間で騒いだせいか麻生副総理兼財務相がこの報告書を受け取らないと発言するなど、私からすると「はぁ?」と思う出来事でした。
いやね、金融庁の報告書や麻生大臣の発言に対してではなく、この文言に腹を立て騒いだ人たちの言動に対してです。
私に言わせりゃ、これだけ寿命が延びている世の中にあっては老後に生活資金がかなり必要であることはごく当たり前のことであって、個々人によって必要な金額が違うのは当然としておおよその目安の金額を示してくれたのはむしろありがたいことだと思うべきだと。
むしろ、資産を十分持っている人以外は、「そんなに必要ならば今のうちから努力しないとな」と考え、自分なりの対策を講じるというのが賢明な行動のはずです。

私自身のことでいえば、今年の5月から少しずつ貯金を増やす努力を始めました。
当面、2,000万円はなかなか高いハードルなので200万円を目指しています。
何せ、現在の私はパートタイムの仕事を2つ掛け持ちしながら何とか日々の暮らしを回しているような貧乏人なので、“自分ができることを着実に、確実にやること”を心掛けています。
貯蓄残高を増やすために今の私がとりあえずできるのは、日々の暮らしにおいて極力出費を減らし、出費が収入を上回らないようにすることで余剰分を積み立てていくというやり方です。
小学校で算数を勉強した人なら誰でも思い付き、実践できるやり方です。
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2019年07月15日

誰かが行動を起こさなければならない場面、あなたはどうしますか?

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(こんな時、あなたならどうしますか?)
人生においては、その時の状況や環境で誰かが行動を起こさなければならない場面というのが必ずあるものです。
そんな場面に自分が身を置いた時、あなたはどうしますか?
例えば、目の前で事故(現場)を目撃した、事件(現場)を目撃した、仕事の現場でトラブルが発生した等々。
おそらく、そういう場面で自分がどういう反応(対応)をするかは、それまでの生き方が反映するといってもいいでしょう。
とりあえず様子を見る、他の誰かが対応してくれるだろうと傍観者になる、他人の視線を気にせず自ら率先して行動を起こす、人によっていろんな反応(対応)のし方があると思います。

以前勤めた会社で、当時親しくしていた他部署の部長と仲の良かった同僚からこんなことを言われたことがあります。
「組織の中で生き残るためには、まずは様子を見て周囲がどういう反応をするか知ったほうがいい。変な正義感を持って自ら率先して動いたりすると痛い目に遭うことも多いからな。組織の中では目立った行動を取る人は潰されやすいものだ」と。
私は長い間組織人だったのでこの言葉の意味は十分理解できます。
ただ、納得できるかといえば納得はできません。
だからでしょうか、頭の中ではわかっていてもつい行動が先になってしまって痛い目に遭ったことはこれまで何度かあります。
でも、振り返ってみてその時の行動を後悔はしていません。
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2019年03月25日

やり尽くした後に行き着くのが本物(本心)だと思う

居酒屋藤
(あなたは、本当の自分らしさを見出すことができていますか?)
かつて、趣味で飲み歩きにはまっていた頃、『吉田類の酒場放浪記』に習いいろんな酒場を飲み歩いていました。
仕事のほうはなかなか思い通りにいかない分、個人的な趣味なら自分ですべてを決め自分だけで行動できるのでこちらのほうは順調に進みました。
当時のこの活動は、『華麗なる新橋徘徊族』というブログで記録にしましたが、意外と多くの人に読んでもらえたようで、時々「あのブログ読んでいるよ、更新を楽しみにしているんだ!」と声を掛けられると嬉しくなり、さらに飲み歩きが加速したものです(笑)。

しかし、そのうち、健康上のこと、金銭的なことでこの活動自体が何か虚しく感じられるようになりました。
お酒は飲めば飲むほど体に害を及ぼすのは当然だし、飲み代にお金を使えば使うほど他のことにお金が使えなくなるのも当然です。
それに酔うのはその瞬間は気分良くても、後に何も残らないのです(生産性がない)。
飲み仲間がたくさんできたところで、その人脈が仕事上で生きることはほとんどなく、結局は自分のストレス発散の場として酒場を利用していた面も大きかったのです。
そう思うようになったら、ごく自然に頭も足も酒場を向かなくなりました。
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2019年01月01日

今年は、“さらにシンプルに”が目標。死に向かう道を少しでも幸せに。

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(新年になりましたが、今どんなことを思っていますか?)
『2019年1月1日(元旦)』。
明けましておめでとうございます
いろんな人がいろんな思いを胸に過ごす一日だと思いますが、私は今年の自分自身の目標(生き方)について語ってみます。
私の今年の目標は、一言でいえば、“さらにシンプルに”です。
昨年は、特に私生活においては終活を意識したことをやってきました。
具体的には、部屋にある所有物をどんどん捨てるということをしました。
私は独身一人暮らしで、実家のある郷里からは遠く離れた地に住み、身近にいる近親者といえば私同様独身一人暮らしの弟のみです。
私が部屋で突然死するような状況を想定し、その際身の回りの物は少ないほうが後処理をする人は楽だろうなと思っているのです。
私の死は誰かしらには迷惑はかけてしまうわけだけど、その迷惑もできることなら極力減らしておきたいなと。
私流のそのやり方が生きている間に所有物を減らすということでした。

ある知人が私の現在の部屋の風景写真を見て刑務所みたいだねと冗談半分で言っていましたが、それはある意味何もないという点において私の理想とする究極の姿かもしれません。
私が身内の人間の死に直面したのは、最初は100歳近くで他界した祖母、次いで50代で他界した兄、直近では91歳で他界した父。
こうやってみると、100歳を超えて生きるのは難しいんだなと単純に思います。
そうすると、現在54歳の私は人生の折り返し地点を回って後は死への道を進んでいくことになります。
それは、人生のゴール=死ということです。
これから行く道は、体力・気力・記憶力等いろんな力が衰えながら進まなければならないのでけっこう大変なような気がしています。
実際、60代、70代、80代の人生の先輩たちの言葉からはそのことが汲み取れます。

仕事人人生においては、生涯現役を理想に掲げていますが、ただ、若い頃のような働き方はもうできないので年齢とともに働き方を変えてきています。
新年の始めには飛躍を誓う人もいるでしょうが、率直に言って、年とったら、特に50代以降になったら飛躍というより地道に少しステップアップするぐらいの気持ちのほうがいいかもしれません。
以前居酒屋で働いた時、周囲の同僚スタッフがほとんど20代ばかりだったのですが、フットワークも頭の回転も彼ら彼女らにはまったくついていけないことを思い知らされました。
その時つくづく思ったのです、飛躍という言葉は若い人のためにある言葉なんだと。
そんなわけで、今後は年相応の生き方をしていきたいと思っています。
あなたは、生き方、仕事、私生活、、今年はどんなことを目標にしたいと思っていますか?

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2018年09月19日

ゆるい生き方をしている私の日常生活はこんな感じだ

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(ただ今、ゆるい生き方を実践中!)
ハードワークをしたと思ったら急に(仕事をあまりしない)ゆるい生き方をする、これを人生において繰り返しているのが私です。
今年の4月までは、飲食店の仕事を日中、夜の二つ掛け持ちでやっていましたが、やや疲れを感じたことと、日中の仕事があまり勉強にならなかったので4月で辞め、以来今日まで夜の仕事一本できています。
仕事といってもパート勤務なので正社員ほどは責任は重くなく、かつ1日の労働時間は5時間と短めです。
また、時給は1,000円程度なので週一の休みで月25日前後働いても収入は10万円を少し超えるぐらいで大したことはありません。
残業が多い時期は少し収入が増えますが、それでも多くて12万円程、休みが多かった時は10万円を切ることがあります。

家賃、水道光熱費、通信費など比較的固定している出費が毎月8万円前後なので、それ以外の出費を2、3万円ぐらいで抑えないと毎月赤字家計ということになります。
実際のところは毎月赤字で、その補てんは過去の貯蓄の切り崩しです。
現状のままでいくと生活費面で行き詰るのはわかっているので、そのうち他の仕事を見つけて再びハードワークをすることになるでしょう。
ただ、それまでは現状のままゆるい生活が続きます。
では、どれだけゆるいのか、典型的な一日の過ごし方の例を以下に紹介します。
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2018年09月08日

自分がやっている(関わっている)ことを語れる人のほうが魅力を感じる

『斉藤酒場』(十条)店内
(ぶっちゃけ、私にとって魅力的な人というのは・・・)
私はいくつかのSNSをやっていますが、それらのSNSでつながっている人の数を合計するとかなりの数になります。
SNSではつながっている人たちの投稿を閲覧することができますが、私が比較的よく注目するのは、自分がやっている(関わっている)ことを語っている投稿です。
例えば、自分がやっている仕事のこと、あるいは個人的に関わっている活動のことなど。
逆にほとんど関心を払っていないのは、その人とは無関係な事柄に関する投稿、あるいはその人には何の不利益もないことがわかっていて言いたい放題で言っている投稿などです。
例えば、国際関係や政治経済等マクロ的な事柄に関する評論、自分がまったく見識のない分野についてのただの雑感など。

SNSの機能で何となく煩わしさを感じるのは、外部のサイトをリンクしての投稿です。
その人自身が一生懸命考え、自分の言葉で語っているわけではなく、他人が言っていることや他人が発信している情報をたんに右から左へ流しているだけというやつ。
本人はより多くの人に知ってもらいたいとか、手軽にアピールしたいと思ってやっていることなのかもしれませんが、私からすると、その人がたんに薄っぺらに見えてしまうだけ、その人が行動して貢献しているわけでもないのに何か自分のストレス発散のためにやっているだけに感じてしまうのです。
暇潰しでやっているのならどうぞご自由にという感じではありますけどね。
ただ、残念ながらそういう行為が多い人には魅力を感じないのです。

私がこのブログのテーマを仕事関連にしているのは、自分自身も大いに関わっていることなので自分の言葉で語れるからです。
個々の記事に対する読者(他人)の受け止め方はいろいろあるでしょうが、私は自分の体験談をもとに記事が書けるので自信を持って書いています。
ブログを書いている時の自分は心が喜んでいて、この時間はとても楽しい時間です。
おそらく、今の私の表情は真剣な中にも生き生きしたものがあるのではないかと思います。
本業に取り組んでいる際の表情もこうだったらいいなぁと思います。
人の考え方、生き方はそれぞれだということは十分理解していますが、できることなら、あなたも自分がやっている(関わっている)ことを語ってみませんか?

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2018年09月03日

淡々と生き、淡々と仕事をし、淡々と人生を終える、それで十分ではないかと思う

PCで亡き父を見ながら食事
(日々、あなたはどんなことを考えながら、生きていますか?、仕事していますか?)
最近、“淡々”という言葉が気に入っています。
淡々という言葉には、味や色があっさりしているとか、行動にあまりこだわりがないといったような意味がありますが、50代になってからというもの、これからの人生はそんな感じでいいのかなと思っています。
このブログは約14年間続けていますが、14年というと私が現在54歳ですからちょうど40歳の頃から始まっています。
当初の頃から継続して、あるいは定点的に読まれている読者の中には、私の人生観や仕事観がだんだん変わっってきていることにお気付きの方もいるでしょう。
実際その通りで、人間、環境や条件が変わったり、経験を積めば積むほど人生観や仕事観が変わっていくものなのかもしれません。

社会人スタートを起点に、20代、30代、40代の頃は、とにかく「何者かになりたい!」という思いが強くて、必死に勉強し、仕事をしたという自負があると同時に、他人と自分を比べ競争心を抱いていました。
年収が増えた、地位が高くなったという現象には素直に喜び、逆に年収が減り、地位が落ちると落胆しモチベーションが下がったものです。
おそらく、こういうのは私だけでなく多くの仕事人に共通しているような気がします。
では、何者かになるというのはどういうことでしょうか。
その道の大家として名声を馳せたり、権力者になることでしょうか。
よく考えてみればわかることですが、政治家のトップである総理大臣になれたとして、大企業のトップになれたとして、それが一体何だというのでしょうか。
現役の時は周囲が尊敬し、指示命令に従ってくれ、話題にしてくれるかもしれません。
しかし、一旦現役を退けば、その名はどんどん人々の記憶から薄れ、後世の知らない人にとっては「誰、それ?」となってしまうのです。
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2018年09月01日

何となく憧れる生き方ってありますよね。あなたが憧れる生き方は?

年収100万円
(あなたが憧れる生き方は?)
私は貧乏家庭で育ちましたが、若い頃から「将来は大金持ちになって贅沢な生活をしたい」という気持ちはまったくありませんでした。
仕事で会社の社長になって大きな仕事をしてみたいというような願望はありましたが、それは社長になって豪邸に住み、高級車に乗り、高級料理を食べるなどして贅沢三昧を尽くしたいというのが動機にあったわけではなく、あくまでも仕事をエキサイティングにやってみたいという動機でした。
社長になれたとしても、若い頃からこんな企業トップの生活スタイルっていいよなぁと思っていたのは、例えば、当時国の行政改革で腕をふるっていた土光敏夫さんが、私生活では“メザシの土光さん”と呼ばれるほど質素な生活を送っていたというあの生き方でした。

私が理想とする生き方とは対称的に、世間には贅沢三昧とまではいかないまでもお金にものをいわせて遊びに耽り、欲しい物を手に入れて喜んでいる人たちもいます。
こういう人たちを非難はできません。
なぜならば、私もかつてはそういう類の人間だったからです。
少しばかりいい給料をもらった、賞与がそれなりにもらえたと内心ほくそ笑んでは、夜な夜な飲み歩いたり、誰かにおごってあげたり、買いたい物をどんどん買ったりなどしていた頃があったのです。
しかし、今過去の人生を振り返ってみると、そういう頃の人生が後世に残したものって何もないなぁとどこかで虚しさを感じます。
最近の私は、終活を意識して部屋の中にあるいろんな物(過去に買った物)をどんどん捨てていっているので、なおさらそういう感が強いのです。
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2018年08月17日

他人の考えで生きる必要がどこにある。自分の幸せは自分で感じるものだ。

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(自分の幸せは、自分自身で感じで自分自身でつかもう)
かつて、知人にこんなことを言われたことがあります。
「お前は本当にバカだなぁ。大学卒業してせっかく東証一部の安定感のある会社に就職したのに、そこを辞め、しかもその後の人生では転職を繰り返し、結局転落(年収落ち、待遇落ち等)していっているじゃないか。辞めなきゃよかったんだよ」と。
この言葉を聞いた時、「あー、私はこの人とは絶対合わないな」と内心思いました。
その人の中では、“世間的にいい会社の社員→待遇がいい、将来の心配がない→幸せになれる”という図式があったのかもしれません。
そして、その図式からハズれた私は幸せになる道を自ら放棄してしまったバカなやつと映ったのでしょう。

しかし、言うまでもなく人間には一人ひとり意思というものがあります。
幸福感は10人の人間がいれば10人とも違います。
もちろん人生観、仕事観だって人それぞれです。
ある人が思い描く幸せへの道は別の人にとっては不幸せへの道かもしれません。
安定している大企業で働いている友人がストレスを抱え窮屈そうに仕事をしているように見えたら、ベンチャー企業で生き生きのびのび仕事をしている人は気の毒に感じるかもしれませんが、不安定なベンチャー企業で働いている友人が収入が少ない上に休みなく大変そうに仕事をしているように見えたら、大企業で福利厚生に恵まれ収入も安定している人は気の毒に感じるかもしれません。
ただ、それは他人が見たらそう見えるというだけであって本人はそう感じていないかもしれないのです。
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