仕事人ならクレーム体験をしろ!約束を果たすということ

2004年11月16日

“横並び”から脱却せよ

あなたは、職場の同僚や友人・知人の親族等にご不幸があった時、自分で香典の金額を決められますか?
それとも、誰かに聞きながら、周囲の状況を見ながら決めていますか?
「社会人だったら、そんなことぐらい自分で決められるさ」と思っていませんか?

私は過去2社で働きましたが、同僚の身内に不幸があるたびに、職場で「ねぇ、○○さんとこの香典、いくらぐらいにしようか?」という会話が飛び交うのを何度も聞きました。
要するに、他の人たちと同じ金額だったら引け目を感じないというわけです。
というよりは、他の人より多いと損した気分になるし、少ないと恥ずかしいというのが本音かもしれません。


実は、恥ずかしながら私も香典は“横並び”で決めていました。
会社の同僚関係だったら3,000円とか、親族だったら5,000円とか、すごく身近な存在だった時は10,000円とか、そんな基準は持っていたものの、それでもいちおう周囲に聞いていました。
想像するに、私のような人はたくさんいるのではないでしょうか。
それに、こういうものって儀式だから、世間相場みたいなものを考えちゃうじゃないですか。
なもんで、私は、そういう場面では“世間の常識”というのを大事にすべきと考えていたのです。

ところが、この“世間の常識”というのがクセモノなのです。
たしかに、調べてみたら世間ではこのぐらいが相場だったというのはあるかもしれません。
しかし、それはあくまでも平均であり、個別では受け方も事情も違う場合が多いのです。
そもそも常識といわれるものは、実態が曖昧なものであり、誰かがやった非常識なことがいつの間にか常識のようなものになっていたということだってあります。
例えば、3,000円の香典でも、所得水準の低い地域であれば、10,000円ぐらいの価値があるかもしれないではないですか。
あるいは、お金は出せなくも、葬儀に出席することが最高の弔いになることもあります。

香典で思い出したのですが、私にものすごく影響を与えた同僚がいました。
私とその同僚は隣席同士だったのですが、ある時、他の同僚の身内に不幸があり、親しかった同僚たちが香典を出すことになりました。
そこは横並び意識の強い日本企業のこと、1人いくらという金額を設定し、代表が集めて一緒の封筒に入れ、葬儀に参列する人に託すということにしました。
しかし、私の隣席の同僚は1人だけ別行動をとりました。
たしか、管理職以外は3,000円一律だったところを、彼は管理職でもないのに10,000円を自分専用の香典袋に入れ、しかも彼自ら葬儀に参列したのです。

後で彼とその件について話しをしたところ、彼はこう言い放ちました。
「何で他の人に合わせる必要があるんだ。私は、その人にとてもお世話になったと思うからこそ、私の気持ちとして誠心誠意哀悼の意を表したかったんだ」
この言葉を聞いた時、私は頭をガツンと殴られたような気分でした。
「そうだ、彼のとった行動こそがあるべき姿なんだ」と。
この言葉が私の頭の中から離れなかったので、後年、彼と同じことをやってみました。
そしたら、私の行動を見た人から、「ヨロンさんってすごいね〜」と言われてしまいました。
私としては特にすごいことをしたわけではなかったのに。
ただ、自分の信念に基づいて行動を起こしたので、気持ちに何のわだかまりもなく晴れ晴れした気分でした。

自分の身内に不幸があって、香典を受け取る立場を経験した人ならきっと実感できると思いますが、職場の同僚の名前がずらずら連名になっている香典よりは、個人名の香典のほうが気持ちのうえで何となく嬉しいものです。
実際のところはどうかわかりませんが、前者は義理のようなものを感じるし、後者はより個人の気持ちを感じます。
数年前に私の兄が死んだ時、職場ではよく喧嘩ごしで議論をしていた同僚(周囲からも煙たがられていた存在の人)から、本人名で10,000円の香典を受け取りました。
彼一人だけが突出していたので記憶に鮮明に残っているのですが、その香典の入った香典袋に書かれた彼の名前を見て、私の彼に対する見方は大いに変わりました。
もちろん、いい方向へ、そしては、それは金額の問題ではなかったのです。

さきほど隣席の同僚のエピソードを紹介しましたが、彼については、今でも忘れられないエピソードが他にもあります。
本人はもう忘れているかもしれませんがね(笑)。
仕事が終わって、彼と一緒に食事をしに行きました。
場所は、東京・恵比寿ガーデンプレイス内のあるレストラン。
私たちが食事をしていると、突然TVカメラが店内に入ってきて店内を撮影し出したのです。
TV撮影のことは客へは事前インフォメーションがなかったため、店内はすこしざわつきましたが、それでもほとんどの客は「きゃー」とか言いながら何となく嬉しそうでした。
もちろん、店員は事前に知っていた感じであちこち誘導していました。

私たちのテーブルにカメラが向けられた時、同僚が声高に言いました。
「撮影しないでくれ!」
この声で、クルーたちは他の方向へカメラを向けました。
しばらくして、同僚が「今日は気分が悪いので、この店を出よう」と言いました。
そこで、食事はそこそこに私たちはそのレストランを出ることになりましたが、彼は精算の際、店の店長を呼び出し、こう抗議しました。
「この撮影はどういうつもりだ。客には一切インフォメーションがなかったじゃないか。私たちには肖像権という権利があるんだ。あなたがやったことは権利侵害だ!」と。
店長は何度も頭を下げて謝っていました。
店長に悪意はなかったでしょうし、またそういう客からの抗議も予想できなかったでしょう。
しかし、言い分としては私の同僚のほうが正しいのは間違いありません。

「他の人もやっているからいいじゃないか」、「誰も言わないんだから私も言うのはよそう」、「周囲の動きを観察してからどうするか決めよう」、、、これらはみんな“横並び”意識です。
また、自分の意見を堂々と主張する人は気に食わないからやっつけよう、匿名に隠れて他人を誹謗中傷しよう、上昇志向のある人の足を引っ張ろう、他人と違う行動をとろうとする人を排除しよう、、、これらもみんな“横並び”意識からくるものです。

他人や会社から評価されたい、職場の風土を変えたい、日本を住みやすい社会に変えていきたい、国際社会で通用する仕事人になりたい、本気でそう考えているんなら、そろそろ“横並び”の意識から脱却しませんか。
横並びの意識から脱却するには、他人から大いに学ぶことです、世の中のいろんな出来事に関心を持ち、それらを観察するとともに自分の考えを持つことです、そして、横並び意識からくるような周囲や世間の非難や批判を気にせず、自分の信ずる道を進むことです。




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この記事へのコメント

1. Posted by 人気BLOGランキング   2004年11月16日 14:04
こんにちわ★
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ではこれからも頑張って下さい☆
2. Posted by sion   2004年11月16日 23:42
>横並び意識からくるような周囲や世間の非難や批判を気にせず、
 自分の信ずる道を進むことです。

同感です。私も何度か様々な職業を経験しました。
心ない人は、私がただ辛抱がきかないとかわがままとか
非難中傷を浴びせてきました。
自分の持つ価値観で『一生同じ仕事をするのが当たり前』とか。

そういう声を聞きながら今まで自分の信じた道を歩んできました。
3. Posted by ヨロン/竹内富雄   2004年11月17日 06:52
sionさん、こんにちは。ヨロンです(^_^)。

日本の会社では、まだまだ異質のものを排除しようとする雰囲気がありますよね。
特に自己主張したり、自分の考えがはっきりしている人を煙たがるような。
でもまぁ、もうそういう雰囲気もなくしていかないと国際社会では通用しないかもしれませんね。
お互いめげずに頑張っていきましょう。
4. Posted by issy   2004年11月18日 21:42
海外に留学していたときに、海外での自己主張と日本での自己主張の差をひしひしと感じたことがあります。

日本では、自己主張がしにくい雰囲気が強いのですが、海外ではそんな雰囲気がありません。たとえば、私は海外(カナダ・オーストラリア)の大学と、日本の大学に行っていますが、私という同じ人間でも、大学とその国が違うと自己主張の仕方もまったく異なります。自分でも不思議ですよ(笑)

日本に帰ってきて思ったのは、外国でやっていたような自己主張を日本でするにはかなりの勇気が要るということです。そんな勇気がある人はいいでしょうけれど、私は無かったので違う自己主張の仕方が必要なんじゃないかなと漠然と思うようになりました。

異質と思わさないで、異質なものをうまく溶け込ます。
知らない間に新しい物や考え方を導入する。

そんな芸当は意外と日本人にしかできないかもしれないんじゃないかなあなんて思います。
5. Posted by ヨロン/竹内富雄   2004年11月19日 01:18
issyさん、こんにちは。ヨロンです(^_^)。

要は「郷に入っては郷にしたがえ」ということなんでしょうね。
日本にかぎらず、それぞれの国にはその国のやり方があるでしょうから。
ある本に書いてありましたが、例えば、会議では、欧米企業は、「個々人はまったく別の人格なので考え方が違うのは当たり前。だから相手の考え方を理解するまで議論する」が、日本企業は、「同じ日本人だから似たような考え方をするはずだ。相手を慮りながら議論する」そうです。
このあたりの違いがわかっていれば、その環境に合った適応ができるような気もします。

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