惚れよ、惚れられよ修羅場をくぐれ

2004年09月04日

老いるということ

老人を笑うな、いつか行く道じゃないか。
子供を叱るな、いつか来た道じゃないか。


そんな言葉に、しみじみ思う今日のこの頃です。
何歳をもって若いかなどというのは、人それぞれの感覚で違うもんなんでしょうが、私自身のことでいうなら、「若いと思っていたのに、気づいたらもうこんな年齢だよ」というのが今の心境です。


自分がもうこんな年齢かと思うぐらいなので、当然のことながら両親はだいぶ老けてしまったし、周囲にいた子供たちもずいぶん大きくなっています。
私のすぐ上の兄は、私と3歳違いなのですが、お互いの付き合いは昔とちっとも変わらない感覚です。
会うとお互いによく憎まれ口をたたくし(笑)。
しかし、その兄から「俺の子供は来年大学受験だぞ、お前早く結婚しろよ」などと言われると、「あー、幼い頃に会ったあの○○ちゃんは、もうそんな年齢になったのか」としみじみ思います。

年齢が上がるにつれて「人間が丸くなる」というようなことがいわれます。
仕事人の世界だと、若い頃は血気盛んでいろんな人とぶつかったりしていたのに、年取ったら丸くなったという人の話をよく聞きます。
感情の向くままに激しく他人にぶつかって反応を感じながら、それを繰り返すうちに、同じ失敗をしなくなったり、あまり冒険をしなくなったり、角の立つ言い方をしなくなったり、、、そして、人間的な部分で角がとれて丸くなっていくのでしょう。

老いる」という言葉からは、ネガティブなイメージを持ちやすいのですが、冒頭の言葉にもあるように誰にでも訪れるものであるならば、むしろ自然体で受け入れたほうが気分的には楽なのかもしれません。
自然体というのは、そうですね、例えば、「人間は、生まれた以上は成長しながら、老いてゆき、そして最後は死ぬことによってまた自然に戻る」という連鎖を当然のこととして認めるということでしょうか。

最近は、ふと、自分の10年後、20年後の生き方について考えます。
なんでかというと、自分の年齢を考えたとき、仕事人として第一線でバリバリ働けるのはそうは長くないだろうなと思うし、じゃ、仕事以外のことで自分の人生を充実させるには、今から何をしたほうがいいのだろうかと考えるんですね。
そうすると、ある程度長期的展望に立った自分の姿をイメージしておくことが大事になるからです。

若いうちは、今の自分に対して、きっと「何を年寄りじみたことを言ってんだ!」と軽蔑的な言葉を投げかけていたことでしょう。
しかし、残念ながら、多くの先輩たちもそうであったように、自分のライフスパンの中で、その年齢に応じた思いやスタイルって必ずあるものなのです。
仕事人としてバリバリ働ける期間が20年ある人と10年の人と5年の人では、生き方の選択が違って当然なのです。

死の年齢を予想して人生の残り時間を逆算すると、「あ〜、もうこれだけしか残っていないのか」と思ったり、「まだ多少は余裕があるな」と思ってみたり。
何はともあれ、確実に時間は過ぎるので、「時間は大切」という認識はいつも持っていたいと思います。
どうせ老いてゆくなら、この年齢でやりたいことはやり尽くしたというぐらいの気持ちを持ち続けられたらいいですね。

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