実務か英語かオフ会で人脈を広げる

2004年08月10日

批判の裏にある本当の心

f657e572.jpgサラリーマン一郎〜総務部編』の8/7付記事“京都の夜と男の嫉妬”をとても興味深く読みました。
この「嫉妬」というやつは、感情の本質的な部分にあるものだと思うからです。

一郎さんがこの記事を書かれたちょうどそのときに、新聞に『嫉妬する人、される人』(谷沢永一著、幻冬社)という本の広告が載っていたので、早速買って読んでみました。
著者の谷沢氏によれば、日本社会は昔から嫉妬で動いているのだそうです。


そういわれてみると、たしかに私もかなり嫉妬心を持っているし、これまでに誰かに嫉妬したことが何回もあるように思います。
表面的には「嫉妬している」というとかっこ悪いというか、醜いような気がするので、なるべく他人にそう思われないように隠そうとするのですが、純粋に心理的考察をするなら、それは嫉妬以外の何者でもないということです。

先日TVを見ていたら、役人の不正を暴くということで道路公団の経費不正使用の実態が放映されていました。
放映されたシーンは、公団職員が会議費の名目で宴会をやり、それが酒つきで1人当たり1万数千円にもなるといったような内容で、動かぬ証拠として飲み屋の請求明細書を映し出し、「国民の税金なのに何事か!けしからん!」というストーリーになっていました。

でもね、ちょっと冷静になって考えてみてほしいのです。
役人が絡むと、必ずといっていいほど「税金の無駄遣い」という視点からだけで大事から小事まで一部始終を暴こうとするのですが、こういう体質って、何も役人の世界だけでなく民間の世界だってありますよね。
税金のことをいう前に、人間体質の問題も考えたほうがいいかもしれないのです。
もちろん、税金が無駄遣いされないにこしたことはありません。
自分のお金が税金になっているわけですから、しっかり監視していくことも大事でしょう。

しかし、残念なことに会社の中でも似たようなことはたくさんあります。
会社のお金をその会社で働く社員全員の共有財産とするなら、一部の社員だけが会社の金で飲み食いするのは、これは罪なことであり無駄遣いです。
この場合でも、会社の金を使った側には何かしらの言い分があります。
仕事をうまく進めるために必要なコミュニケーションコストだとか、注文をとるための接待費用だとか(純粋にその場合もありますがね)。
上司が部下の前で見栄をはるために経費でおごったり、私的飲み代を会社の経費で処理するために会議費として計上したり、そんなことは日常茶飯事に行われているはずです。
役人の飲食費を報道するメディア側の人間だって、少なからずあちこちで飲食費を会社経費で処理しているケースがあるのではないでしょうか。
あるいは思惑つきの接待とわかっていながら接待を受けることもあると思います。
自分たちの不正や癒着は知られたくないから隠してしまうでしょうけど。

結局、他人のやり方や不正を批判し追及したくなるのは、その心として「嫉妬」があるからだと思うのです。
会社の中でも、会社の金で飲み食いするという恩恵にあずかれなかった社員は嫉妬心を抱くでしょう。
きっと、「私が汗水垂らして稼いだお金で飲み食いするなんて許せん!」と叫ぶことでしょう。
しかし、逆の立場だったらどうでしょうか?
自分が恩恵を受けることができる立場だったら、批判を素直に聞き入れることができるでしょうか。
周囲が当たり前のようにそういうことをやっている環境であれば、自分がそういうことをできる状況になったとき、つい同じことをやってしまうのではないでしょうか。
「私の仕事人人生の中では一切そんなことをしなかった!」と胸を張って言い切れる人がいるなら、私はただただ敬服いたします。

できることなら他人に嫉妬などせず淡々と生きたいものですが、いかんせん、人間は感情の生き物でもあるゆえ「嫉妬など一切しない」と言ってしまうと嘘になってしまいます。
ただ、嫉妬し合って、それが競争心を生み、その結果として世の中で役立つものをたくさん生み出してきたとも思われますので、嫉妬することは悪いことばかりではないような気がします。


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