合わない人と付き合わざるをえない時は人生勉強と割り切れ現場の仕事から離れて長い年月が経つと、“昔取った杵柄で”とはなかなかいかない

2022年10月05日

状況や相手に合わせたものの言い方をするのは処世術として必要だと思う

人を動かす
(あなたの常識は他人の非常識ってことも)
人を見て法を説け』ということわざがあります。
ご存知の方は多いと思いますが、人にものを教えるときは、相手の立場や能力に応じて話をするのがよいという意味です。
わかりやすく言えば、小学生レベルの人にはそのレベルに合わせ、大学生レベルの人にはそのレベルに合わせ、とにかく、相手に理解してもらえるような言い方をすることが重要だということです。
小学生レベルの人に大学生レベルの人でないと理解できないようなものの言い方をしては、相手は「???」となってしまい、せっかくいいことを言ったのにその労力は無駄になってしまうのです。
こう言うと、多くの人は「そりゃそうだな」と思うかもしれませんが、仕事人の世界において、案外それが実践できていない人はとても多いような気がしています。

恥ずかしながら、私もある時まではそれができない人間でした。
私はこれまで10数回の転職をしましたが、新卒で入社した会社から3社目までは大企業でした。
大企業というところは優秀な人も多く教育制度もしっかりしているので、他人とのコミュニケーションや資料作りなどにおいては常にロジカル(論理的)であることが要求されました。
例えば、仕事の成果を表現する時は、「大きな効果があった」などといった曖昧さはNGで、どういう効果があったのか定量的、定性的、具体的に表現する必要がありました。
たしかに、こういったことに慣れると、自分が受け手側になった時にわかりやすくイメージしやすいんですよね。
だから、私の中では、仕事人の世界は、ロジカル(論理的)であることは絶対条件で、それはどんな組織においても、どんな相手に対しても通用するものだと思い込んでいました。


しかし、大企業を辞めてから中小零細企業を転々とし、また、正社員から非正社員という立場になってはっきりわかったのは、ロジカル(論理的)に話しをしようとすると逆に相手が聞く耳を持たなくなることもあるということでした。
極端な例かもしれませんが、かつて勤めた飲食店時代、親方が私を「お前は努力が足りないんだ!」と叱責したので、神妙な表情を装いながら、「すみません、私はどういった点を努力したほうがいいでしょうか?」と聞いたところ、「そんなもん、自分で考えろ!。そういうのを自分でわからないところがお前の努力が足りない証だ!」とさらに叱責を受けました。
このことからわかることは、相手が自分とはまったく違う世界で生きてきた人である場合は、自分の常識は相手の非常識ということもあるということです。

こういう経験は実はこれまでけっこうしてきました。
だから、最近つくづく思うのは、状況や相手に合わせたものの言い方をするのは処世術として必要かなということです。
私はこのブログの記事を書くにあたっては、“わかりやすい文章であること”を心掛けていますが、その反面、実はロジカル(論理的)になっていない面もあることは自覚しています。
例えば、冒頭で、「小学生レベル〜、大学生レベル〜」という話をしましたが、じゃ、具体的に、小学生レベルとはどういうことで、大学生レベルとはどういうことなのか、といったことを述べていません。
ロジカルシンキング(論理的思考)を持った人同士での会話なら絶対突っ込まれるポイントです。
ただ、この記事で言いたいのは、世の中を生き抜くための処世術としては、状況や相手に合わせたものの言い方をするのはとても大事だし、必要だということです。
こういうのは、いろんな人生経験をしないとなかなか気付けないことでもありますけどね。

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yoron at 20:34│Comments(0)仕事人の叫び 

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