「私の仕事人人生って何だろう?」と、ふと思うことありませんか?父よ、あなたは偉大だった。仕事人としての生き方の範は身近にある。

2022年02月26日

本気でその仕事をものにしたければ、最初は屈辱にも耐えろ

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(仕事人人生、たまには屈辱を味わうぐらいのほうが成長の糧になるのさ)
私が一大決心をしてまったく未経験の仕事(飲食関係)に就くという大胆なキャリアチェンジをしたのが、50歳を目前にした頃でした。
40代までは自分が描いたキャリアデザインのようなものに沿って進み、まずまず納得のいく仕事人人生を送りました。
しかし、50代が近づいてきたあたりから、このままでいくと、何となくな感じで定年まで勤め人人生を送り、定年後は目標もないまま場当たり的な人生を送っていくような気がして漠然とした不安がありました。
そんな時に脳裏に浮かんだのが、未経験だけど日頃から関心のあった仕事に就いて残りの仕事人人生を送るのも悪くないなということでした。

それは、私に向いているかどうかもわからないまま決断したので、まさに挑戦でした。
私が目指した業界の中の人からは、「考え直したほうがいいんじゃない?」と私の無謀な行動に対しありがたい忠告をもらったりもしましたが、私の決意は変わりませんでした。
私に忠告してくれた人は、スーツ・ネクタイを身にまとい会社勤めしか経験したことのない人にこの仕事はやれないよと言いました。
つまり、この仕事はそれだけ厳しいし、辛いし、辞める人も多いということを教えてくれたのです。
この仕事に就いてもう8年という歳月が過ぎましたが、今振り返ってみるとたしかにその通りでした。


ゼロスタートだったので、最初は基本中の基本から勉強しようと専門学校に入学して学びましたが、当然といえば当然でしょうけど、学校と仕事の現場はまったく違いました。
事前の諸々の情報で現場の大変さ、辛さは頭の中ではわかったつもりでいたし、覚悟もしていましたが、現実はそれ以上でした。
以前の記事でも書いたことがありますが、職場によっては超ブラックなところもあり、まともな会社ではありえないような数々の体験もしました。
「大卒なのにこんな仕事になんか就いてアホじゃないか」と嘲笑され、「大学出てんのにこんなこともわからないのか!」と怒鳴られ、年齢が一回りも違う(年下の)上司から頻繁に殴られたり、蹴られたりの暴行を受け、また会社には給料をごまかされたりと、まぁ、ほんと、いろんな経験をさせてもらいました(笑)。

途中で何度辞めようかと思い悩んだりしたこともありましたが、最初の自分の思い(原点)に戻って自分を鼓舞し続けることで何とか今日までやってこれました。
今では「この仕事が好き」と言えるようにまでなりました。
よくこんなことが言われます。
「もし、目の前に易しい道と困難な道があるなら後者のほうを選べ」と。
なぜかとえいば、困難な道を行くほうが自分が鍛えられ人間として成長できるからです。
これは言葉で言うのは簡単でも当事者の身になってみれば大変です。
何せ、困難な道だから、迷い、悩み、挫折等々、精神的にまいることが常につきまといますからね。
しかし、自分の経験を通してはっきり実感できたのは、この言葉は本当にその通りだということです。
何度も困難にぶつかりながらそれを乗り越えているので、精神的に強くなり人間としてたくましくなっているんですよね、知らず知らずのうちに。

それをどういう時に感じるかというと、ちっちゃいことで悩んでいたり、(私から見ると)些細なことでぐじぐじ言っている人などを見た時です。
他人にとっては大きな悩み事でも、こちらにとってはどうでもいいことに思えてしまうわけです。
そして、その時に、「あー、あの時にあんな経験をしていてよかったなー」と思うのです。
だって、すげーブラックな職場を経験していたら(それがいいかどうかはともかくとして)、少々のブラックなんてへっちゃらじゃないですか。
世の中は理不尽だらけと思っていれば、たまに理不尽な目に遭ったところでへこたれません。
だからというわけではありませんが、どんな仕事であれ、本気でその仕事をものにしたければ、最初は屈辱にも耐えろと言いたいですね。
仕事が自分のものになれば、あとは我が世の春状態です!(笑)

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yoron at 06:34│Comments(0)仕事人の叫び 

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