2021年12月29日
責められたくないからやらないという処世術
(他人から責められるのはたしかに辛いが、、、)
世の中を渡る上で必要な処世術にはいろいろありますが、昨日、職場での仕事中にその一つを経験しました。
他人というのは、誰かが良かれと思ってやったことがうまくいかないと、「ほらみろ、だからやらなかったほうがよかったんだ(と私はその人に言ったんだ)」などと言い、内心相手の行動を愚行だと思ってしまうものです。
もちろん、賞賛する人もいるでしょうけど、私の人生経験上はそうでない人のほうが圧倒的に多いような気がします。
良かれと思ってやった人は、自分の考えを試したいと思ってやる面もあるけれど、それ以上に、自分がそれをやることでうまくいけば全体のためになるという思いを強く持っているものです。
これは、先日書いた“挑戦”に関する記事にも通じるものがあります。
ただ、生き残りが厳しい世の中において、何とか無難に生き抜いていくために、“責められたくないからやらないという処世術”を多くの人はとっているし、それを簡単に責めるわけにもいきません。
上司から指示を受けたわけでもないのに、上司の知らないところで勝手(自主的?)にやって失敗し、それだけならまだしもそのことで損失を発生させてしまったら、「何やってんだお前は!」、「いったい、どう責任とるつもりだ!」と怒られることが目に見えているからです。
理解力というか能力の高い上司であれば、意外とその行動を褒めてくれたり、あるいは周囲の前では怒る姿を見せつつ、あとで裏ではしっかりフォローしてくれたりするものですが、まぁ、私の経験でいえばそういう上司はなかなかいませんね。
私がめったに巡り会わなかっただけかもしれませんが。
あー、そうそう、責めるといえば、かつて勤めた会社にこんな嫌らしい上司がいました。
私が上司に逐一報告しながら進めた案件で、それがうまくいかず行き詰った時、上司のさらに上の上司から問い詰められた際、上司は、私の目の前で「いやぁ、こいつが勝手にいろんなことやりましてね、私の指示と違うことをやってしまったんですよ。申し訳ありません、十分注意し、今後は厳しく指導します」などとしゃーしゃーと言ったのです。
内心頭にきたのはいうまでもありません。
「何言ってんだ、この野郎!。お前にすべて報告し了解をとっていたではないか!」ってね。
上司の上司は、この上司の言葉をどう受け止めたのか、、、表面的には、「そうか、わかった。今後は気をつけてくれ」と簡単に済ませてしまったが。
こんな出来事を自分の人生の中で経験していると、そりゃ、自然に、責められたくないからやらないという処世術は身についてしまうでしょうね。
でも、私は、常にそういうやり方をする仕事人人生は送りたくないんですよね。
気持ちはわかるし私自身もこの処世術を使うのではありますが、心の中には、やってみたい!、うまくいけば仕事の生産性が上がるはず!、という強い思いがある時は、失敗した時に怒られるのは覚悟でやってやるというのがあります。
何も挑戦しない、とにかく無難な仕事人人生をまっとうする、みたいな生き方はどうも性に合わなくて。
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私が上司に逐一報告しながら進めた案件で、それがうまくいかず行き詰った時、上司のさらに上の上司から問い詰められた際、上司は、私の目の前で「いやぁ、こいつが勝手にいろんなことやりましてね、私の指示と違うことをやってしまったんですよ。申し訳ありません、十分注意し、今後は厳しく指導します」などとしゃーしゃーと言ったのです。
内心頭にきたのはいうまでもありません。
「何言ってんだ、この野郎!。お前にすべて報告し了解をとっていたではないか!」ってね。
上司の上司は、この上司の言葉をどう受け止めたのか、、、表面的には、「そうか、わかった。今後は気をつけてくれ」と簡単に済ませてしまったが。
こんな出来事を自分の人生の中で経験していると、そりゃ、自然に、責められたくないからやらないという処世術は身についてしまうでしょうね。
でも、私は、常にそういうやり方をする仕事人人生は送りたくないんですよね。
気持ちはわかるし私自身もこの処世術を使うのではありますが、心の中には、やってみたい!、うまくいけば仕事の生産性が上がるはず!、という強い思いがある時は、失敗した時に怒られるのは覚悟でやってやるというのがあります。
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yoron at 06:38│Comments(0)│仕事人の叫び