変化を拒み現状維持を望む者に先はないあなたのいる環境は大丈夫?、環境が“まったく気付けない人”を生むリスク

2021年12月17日

自分が落ち着く時、それが自分にとって幸せの時

私の部屋
(現在の私の部屋、一部ですけど)
たまには仕事ネタ以外のネタを。
私が一番落ち着くのは、自分の部屋にいる時です。
そして、私が落ち着く部屋のサイズは若い頃からほとんど変わっていません。
厳密に言えば少しずつ広くなっているのですが、ワンルームという点では変わりません。
私の実家は家族が多かったので部屋もたくさんある大きな家ですが、なぜか、少年時代は押し入れの中が好きな子供でした。
そこは誰の邪魔も入らない自分だけの空間のように思えました。
私は独身一人暮らしなので部屋は一人だけで占拠していますが、この状況はかつての押し入れの中のような感覚が得られます。

稼ぎがよかった頃なら部屋が二つ以上あるような物件も借りられたかもしれませんが、まったく興味なかったんですよね。
50代になって以前にも増して好きになった言葉があります。
それは、次の言葉です。
起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半
(意味:人間一人に必要なスペースは、起きている時に半畳、寝ている時に一畳だけ。 いくら天下を取ったって、一食に二合半以上のお米は食べきれない)
要するに、一人の人間の存在は所詮その程度のものだということです。


誰が言った言葉なのかみたいな由来に関する説はいろいろあるようですが、私はかの織田信長の言葉と聞くとみょうに説得力を感じます。
戦国時代を勝ち抜きトップに君臨した信長でさえ、実際に天下をとった自分自身を冷静に見つめたら、自分は所詮その程度の存在だったんだと気付いた、この達観した姿勢はただただすごいなと。
今という時代に生きている我が身について考えてみると、40代半ば頃までは仕事人として常にキャリアップを目標に生きてきたような気がしますが、それ以降は自分の限界を感じるようになり、どこかで次の自分の生き方を模索していたような気がします。
そんな時に、再びこの言葉に接し、そうか、この考え方さえできたら多くを望まず、あるがままの自分を素直に受け入れて幸せに生きられるかもと思うようになりました。

以前の記事でも書いたことがありますが、私は50代になってから終活するようになり、その一環で所有していた物をどんどん捨てていく活動をしています。
その結果、部屋がだんだん殺風景になりつつあります。
それで寂しさを感じるかといえば、まったく逆で充実感を感じています。
なぜかといえば、人間はいつか死ぬ、特に私のような独身者は孤独死(という表現がいいかどうかはわかりませんが)の可能性も大きいですけど、日頃から死ぬ時を想定した準備が着々と進んでいれば安心感もあり、それが充実感になっているのです。
平日は、仕事先と自宅の往復を繰り返しているだけですが、仕事を頑張り、終われば自宅に帰ってきて少しくつろぐ、そのくつろぐ場所に居心地の良さを感じ、その時幸せを感じます。
あなたは、どういう時(場所)が一番落ち着きますか?

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yoron at 11:43│Comments(0)人間バンザイ! 

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