「そんなはずはない!」と、自分の常識だけで世の中を見てはいけない現場の大変さは経験者にしかわからない、だから現場経験は大事なのだ

2021年04月03日

「お疲れ様でした」は社交辞令、退職者は“次の人生”を考えることが大事

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(退職とのこと、まずはお疲れ様でした。で、次のプランは?)
私の周囲では、SNSなどのネット上で3月末をもって(定年)退職したという友人・知人たちの投稿があり、その人たちの友人・知人から「お疲れ様でした」のコメントが付けられていました。
こういう言葉を掛けられると、本人は何となく嬉しい気分になるものです。
特に同じ会社(勤務先)に長く勤務した人は、走り続けてやっとゴールインしたような感覚になり、いろんな人からこの言葉を掛けられれば掛けられるほど、退職の瞬間を感慨深く感じるかもしれません。
家庭持ちの人であれば、「お父さん、長い間本当にお疲れ様でした」などと奥さんや子供たちから声を掛けられ慰労してもらったらなお一層やり切った感を感じたりなんかしてね。

しかし、私の経験も踏まえて現実的なことを言わせてもらえば、他人がこの言葉を該当者に掛けるのはたんなる社交辞令です。
誕生日を迎えた人に、「お誕生日おめでとうございます!」といちおう声を掛けるのと同じです。
あなたの職場の同僚が退職した時のことを思い出してみて下さい。
本人が儀礼として退職の挨拶に来たら、いちおう「お疲れ様でした!、次でも頑張って下さい!」などと返した後、その人がその場を離れたらすぐ自分の仕事に戻るはずです。
そして、その人が会社を去った後は、その人のことはどんどん忘れていくでしょう、もはや仕事上は何の関係もないわけですから。


私はこれまで何回も転職しこういう経験を何度もしているので、今では退職時のこの言葉は煩わしささえ感じています。
なぜならば、どんな言葉を掛けてもらってもそれはたんなる社交辞令にしか過ぎないことを知っているからです。
ただ、大学卒業後最初に就職した会社を退職する時は違っていました。
「そうか辞めるのか。とても残念だよ。お前は優秀でこれからの活躍を期待していたのに!」なんて言われると、思わずうるっとしそうになり、辞めた後も自分の決断は正しかったのだろうかと思ったりもしたものでした。
だから、退職後数年間は元の同僚たちにたくさん年賀状を送り続けていたりもしました。

私自身の経験からいえば、勤め人は勤め先を辞めるともはやただの人です。
はっきり言って、他人の視線は、現勤務と元勤務では全然違います。
他人が現役仕事人であれば、他人は自分の仕事上メリットがあるかないかで付き合いを考えるので、メリットがないとわかると突き放すような付き合いしかしてくれません。
例えば、在職中はよく飲みに行っていた同僚でも、飲みに誘ったら「仕事が忙しい」という理由で断られことも多いでしょう。
利害関係でつながっている仕事人同士の人間関係は案外そういうものです。

そういうことがわかっていれば、“退職者にとって大事なのは、自分の今後の人生をどうするか”だということに気付くはずです。
極端な話、退職した翌日から次の人生を歩むぐらいの事前準備をしておくぐらいがちょうどいいでしょう。
「しばらくのんびりしよう」と多くの退職者が考えがちですが、人生は死ぬまで続くわけですから、“次”のないのんびりはなかなか辛いんですよね。
私の周囲の退職者たちを観察していると、次を考えていたかどうかで明暗がはっきり分かれているように見えます。

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yoron at 07:00│Comments(0)仕事人の叫び 

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