自分の常識を世間の常識と思わないほうがいい年少者が年長者に指示命令する時はそれなりに気を遣ったほうがいいと思う

2020年06月28日

他人のねたみそねみは意外に怖いのでご用心あれ

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(怖いよねぇ、他人のねたみそねみって)
若い頃、読んだある本のに、日本人の国民性には“ねたみそねみ(妬み嫉み)”の特徴があるみたいなことが書かれていて、当時の自分の人間関係で起きていたいろいろな問題の原因にみょうに納得できたことがありました。
最近、知り合いの居酒屋のマスターがこんなことを言っていました。
「お客さんの中に、今回のコロナ禍の影響を受けず儲かっている会社の社員がいて、そういう人が酒場で声高にそのことを自慢気に口にする場面があるが、そういう言動は厳に慎んでほしい」と。
その理由は、コロナ禍で苦しんでいる人がたくさんいる状況下で、そういう言動は反感を買うだけでトラブルの原因になりかねないから、と。
そういえば、実際に起きたトラブルの事例が週刊誌でも紹介されていたのを読んだことがあります。

大袈裟に言えば、たまたま自分の勤務先はコロナ被害を受けなかった、逆にそれが追い風となって儲かり、その結果として給与などで恩恵を受けた人もかなりの数いるでしょうから、それを事実として言うことの何が悪いんだ、日本には表現の自由があるじゃないかという言い方もできるかもしれません。
しかし、国をあげてコロナ対策に取り組み、多くの人がコロナ禍で苦しんでいる人に同情的になり、助けようとしている動き、雰囲気の中で、自分が恵まれている立場になったことを口にすれば、そうでない立場の人たちのねたみそねみを買うのは自然でしょう。
上記のように、日本人の国民性にねたみそねみがあるのであれば、なおさら余計な反感を買わないためにも自制するほうが賢明というものです。


今回のコロナ騒動ばかりでなく、平時であっても、人というのは、自分が他人に比べ恵まれていない、劣っていると思い込んでいる時ほど、他人が成功したり、順調にいっている姿を見ると、ついねたみそねみの感情を抱きがちです。
「こっちはこんなに苦労しているにも関わらずちっともいいことないのに、あいつは楽をしていながらうまいことやりやがって」というような。
それは、相手に何の非がなくても、相手が自分に何ら悪影響を与える言動をしていなくても、自分と相手を比べて自然に内面に湧き出てくる感情です。
ある意味、やっかいな感情です。
自分の思考・感情をうまくコントロールできる術を身につけている人なら問題ありませんが、そういう訓練を受けていない人は世の中にたくさんいて、それが怖いところです。

極端な言い方をすれば、ある日、街中を歩いていたら、突然包丁を持った男に刺されてしまうなんていうとんでもない事件が発生したとして、その男が、「なんで俺だけがすべてにおいてうまくいかないんだ!」と腹を立て、気分がむしゃくしゃして誰でもいいから殺したかったという動機があったとしたら、刺された側は何の非もなかったのにいきなり被害をこうむってしまったことになります。
刺されてしまった人は、犯人のねたみそねみの対象になってしまったわけです。
冒頭で紹介した居酒屋での自慢話のような例であれば、言動の当事者が対象になるのはわかると思いますが、この事件の場合は被害者は気の毒としか言いようがありません。

何が言いたいかというと、他人のねたみそねみというのは、自分の想像の範囲を超えたところで突然自分に害を及ぼすこともあるので、日頃の言動は用心したほうがいいということです。
仕事人の世界は、人間関係がそれこそ利害で結び付いている面があるので、利害関係者からのねたみそねみを買う恐れは常にあります。
あなたは、これまでの人生において、「なんであの人にこんなことをされなきゃいけないんだ?」と思った出来事を経験したことはありますか?

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yoron at 09:32│Comments(0)仕事人の叫び 

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