“教える”のは、教わることより何倍も難しい自分ができることを着実に、確実にやることが幸せへの道

2019年09月08日

苦しい時や金回りがよい時には儲け話に心が動きやすい。お金をかける事柄は常に用心深くあれ。

儲け話
(その儲け話、そんなに安易にのっていいですか?)
私は現在50代ですが、これまでの人生において個人的に100万円以上の損失を被る出来事を二度経験したことがあります。
一度は実際の被害が発生する前に未然に防ぐことができましたが二度目は実害を被りました。
一度目は、私が田舎から初めて大都会東京に上京して一人暮らしをしていた頃(当時大学生)、悪徳会社によって高額の英会話教材を売り付けられる契約をしたことでした。
この時は私が未成年だったこともあり、親の同意なしでの契約は無効という法律によって何とか難を逃れました。
二度目は40代の時で私の人生において一番金回りがよい時でした。
その当時飲み歩いていた際に知り合った人から儲け話を持ち掛けられそれにのってしまったのです。
それなりに付き合いの長い人だったので(ただし飲む場だけでの付き合いだった)つい信用してしまい、その話のいい面だけ見て気軽に大金を貸してしまいました。

冷静に考えてみれば、銀行などの預金金利が0.XX%の時代に借入金額の月割額に毎月7%の利子をつけて3年間にわたり返済してくれるというのは出来過ぎている話でした。
その人のビジネスが実際にその人が説明していたほど順調であったならば問題はなかったのでしょうが、いかんせん、これからのビジネス計画(右肩上がりのストーリー)に対し期待を込めての融資だったのでどうしようもなかったのです。
まぁ、ビジネスの世界はリスクをとって儲け話にかけるどうかなので私の判断・行動も一概に甘いとはいえない面もありますが、ただ、私の場合は、その人の事業が本当にうまくいくかどうかの見極めより、その人を信用し過ぎてしまったことが問題でした。
その人は私から現金を受け取るや見せかけで最初の2ヶ月だけ義務を履行してから姿をくらましてしまいました。


実はこの人の私に対するアプローチは最初はそれほどしつこくありませんでした。
ところが、この人と私の古くからの友人と3人で一緒に飲んだ際、私の友人が酔った勢いもあって私はお金を貯め込んでいるという話をしたのです。
「俺は家族持ちで給料のほとんどが生活費で消えていくんだが、こいつは独身で優良企業にも勤めていたのでお金はそうとう持っているはずだよ」と。
この日を境にこの人は何かにつけ私に儲け話を積極的にしてくるようになりました。
古くからの友人は悪気があって言ったわけではないでしょうが、結果的に友人の言葉は私をターゲットにさせるには十分だったかもしれません。
実際のところ当時の私はそこそこ金回りはよかったのです。

当時の私は仕事ではストレスがたまる環境にあり、一方でそれまで貯めたお金がそれなりにあったので金回りはよい状況でした。
そして、長年地道な勤め人しか経験がなかったので、たまには誰の力も借りずに自分だけの判断・行動で儲けてみたいという野心というか欲もありました。
そういった諸々のことがあった中での儲け話だったのでついのってしまったというわけです。
恥ずかしながら、この出来事で損失を被ってからというもの私の仕事人人生は稼ぎという面では不調続きで今日に至るまで貧乏生活を強いられる状況が続いています。
金回りがよかった人生が一転金回りの悪い人生になったということです。
ほんと、人生というのは何がきっかけでどういう展開になるかわからないものですね。
とはいえ、この出来事は私にとってはいい教訓になったと思います。
以来、私はお金をかける事柄については用心深くなっていますので。

世の中には脱サラしてビジネスに失敗する中高年者の例があふれていますが、私の場合はそれを早めに経験し取り返しのつかない失敗というほどではなかったという点においていい人生勉強になったのかなぁと。
大企業(優良企業)などに長年勤務し定年退職でまとまった退職金をもらう人などは要注意ですね。
人は苦しい時や金回りがよい時には儲け話に心が動きやすいものです。
損してもすぐにリカバリーできるならいいのでしょうがそうでなかったら人生がメチャクチャになるリスクがあります。
ふだんは用心深く生きているつもりでも、人間どこで“つい”という気持ちになるかわかりません。
私が言うまでもないと思いますが、お金をかける事柄は常に用心深くあるぐらいのほうがちょうどいいのではと思う次第です。

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yoron at 07:07│Comments(0)仕事人の叫び 

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