50代以降こそフットワークの軽さを意識したほうがよいと思う現場・現実を知らないで理想論ばかりの人と話すのは時間の無駄だと思う

2018年09月28日

表面的には同じことをやっていても思惑がまったく異なることはよくあることだ

IMG_8668
(あなたが付き合っている相手、それは表面だけの付き合いではありませんか?)
かつて趣味で飲み歩きをしていた頃、私の思惑は、たくさんのお店を経験しながら自分に合うお店を見つけたいというところにありました。
私に合うお店というのは、具体的に言えば、まずお店の人やそこに集まる常連をはじめとしたお客さんの雰囲気が自分好みであること、つまり“人”がもっとも大事で、それ以外には、安くて美味しい料理があるとか、いろんなお酒が置いてあるとか、そんなことがありました。
ただ、たくさんのお店を経験する中では、人の面では自分に合わなくても、美味しい料理が食べられるお店やお酒通の人が好みそうなお店もたくさん知ることができ、私は表面的にはいわゆるグルメのような印象もありました。

そのせいか、グルメ志向の人から「今度、いいお店紹介してよ」とか「あなたが紹介したお店、料理美味しかったよ」などと言われることも多くなり、その人たちからは同じ思惑を持った仲間と見られるようになったこともあります。
当時は、本当の自分の思惑と異なっていましたが、それはそれで悪い気はしなかったし、他人が喜ぶ姿を見ると嬉しくもありました。
でも、今は自分が見つけたかったお店も見つかり、かつてのような試行錯誤の飲み歩きはしなくなりました。
それなのに、私のことをグルメ仲間だと誤解していた人たちからは今でも「いいお店紹介してよ」みたいな依頼がきたりします。


思惑が異なる人同士というのは目指しているものがまったく違うのですから、最終的には離れていくものです。
だから、最近私に依頼のある「「いいお店紹介してよ」に対しては適当な理由をつけて避けるようにしています。
だって、私はもう自分が目指していたものを達成することができたので、余計なことにお金や労力を使いたくないのです。
かつて飲み歩きをしていた頃は、他の人にもお店を紹介する意味で同伴企画をよくやっていましたが、本音で言えば、当時はそれでかなり散財したしそれなりの労力も使ったので負担になっていた面もあったんですよね。
だから、金銭的貧乏生活を送っている今はなおさらそういうのはもうやりたくないんです。

これは仕事でも同じことがあてはまるでしょう。
表面的には賛同できるので一緒に仕事をしてみたけど、もともと異なる思惑を持っていたので結局一緒に仕事をするのはやめてしまったなんてことが。
仕事面であれ私生活面であれ、人間関係を考えるにおいては、“表面的には同じことをやっていても思惑がまったく異なることはよくある”ということは念頭に置いておいたほうがいいでしょう。
相手の本当の思惑に気付くことなく一緒に何かをやろうとしても、思惑が異なれば必ずどこかでその関係は壊れることになりますから。
時には、状況や環境によっては、あえて思惑の異なる人同士が一緒のほうが学びや刺激になることもあるものですが、それは学びや刺激を得たいと思っている時に限定したほうがいいような気がします。
私も飲み歩きをしていた頃は、自分の知らないいろんなお店の情報を得るためにグルメ系の人とも付き合っていましたから。

この記事に共感いただけましたら、以下アイコンのクリックお願いします。
人気ブログ

<br><br clear=
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
yoron at 10:59│Comments(0)その他の話題 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
50代以降こそフットワークの軽さを意識したほうがよいと思う現場・現実を知らないで理想論ばかりの人と話すのは時間の無駄だと思う