自社だけでなく他社でも通用するノウハウ・スキルを身につけよう経験の蓄積がないうちは、一切反論などせずに学びを増やすことが賢明

2018年09月16日

意見を言うのは自由だが、意見の付け方は慎重であれ

気持よさそうな猫
(口は禍の元?、あなたが正しいと思い込んで言った意見が、、、)
言論の自由という言い方をするまでもなく、意見を述べるのは個人の自由です。
個人の意見が求められる場面などでは大いに意見を述べたほうがいいでしょう。
ただ、これは私のこれまでの人生経験も踏まえた上での考え方ですが、意見の付け方は慎重であったほうがいいと思います。
特に誰か(相手)に意見を求められているわけでもないのに、「いっちょ、私の意見でもいってやるか」みたいに自分勝手に判断して言う時は、この慎重さを持ちえていないと他人(相手)の心証を悪くする危険性があります。
例えば、AさんとBさんが二人だけの意見交換を楽しんでいるところに、両者が望んでもいないのにCさんという第三者が割り込んで、「面白そうだから私にも意見言わせろや」と勝手に意見を言い出したら、Aさん、Bさんはどう思うでしょうか。
表向きは「どうぞどうぞ」なんて歓迎するふりをしながら、本音では「邪魔なやつだ」と思い、次回からは極力Cさんに気付かれないように意見交換をしようとするかもしれません。

私自身、かつてはCさんのような行動をすることがよくありました。
そういう行動が自分の中で当たり前の感覚になってしまうと、何かにつけ勝手に意見を言わなきゃ気がすまなくなります。
意見でも相手から歓迎される意見ならまだしも、勝手に首を突っ込んでおきながら自分の意見を押し付けようとすれば相手から嫌われるのは当然です。
こういうブログは、不特定多数の読者を意識しつつそれこそ言いたい放題で自分の考えを述べているにすぎず、ある意味個人が世の中に情報を発信している個人情報誌のようなものです。
私が発信する個々の情報に対し、意見を述べたり、コメントを付けたり、指摘したりするのは読者の自由です。
また、それらが自由にできるようにサイトの機能設定もしています。
しかし、なんでもかんでも自由にできるようにしているわけではなく、まったく無関係な内容のコメント(特定サイトへの誘導を目的とした宣伝等)や私個人を誹謗中傷するようなコメントの類は受け付けない設定にしています。

人間関係においては意見のやりとりは日常的にありうるものです。
それによってお互いの信頼関係が深まったりします。
一方で意見のやりとり次第ではお互いに傷を付け合い関係が離反してしまうこともあります。
一般論ですが、欧米社会では議論の場でお互い違う意見をがんがんに言い合っても、議論が終われば握手して仲良くできるなんてことも言われます。
では、日本社会で同じことができるかといえば、それはケースバイケースといったところでしょうか。
欧米的な価値観を持った人同士であれば問題ないかもしれませんが、一方あるいは両者が異なった価値観の持ち主であれば、ちょっとした意見の食い違いが相手敵視につながったりしかねません。
このようにいろんなケースが考えられるので、意見の付け方は慎重であるほうが賢明というのが私の考え方です。
仕事の現場は、いろんな人のいろんな思惑が交錯する場、たまたま口から出た意見が思わぬ影響を与えたりするものです。
「思っていることは言わなきゃ相手にわかってもらえないでしょ?」というのはもっともな意見ではありますが、実際に口にする際にはそれなりに考えて発したほうがいいのではないかと思うわけです。

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yoron at 07:48│Comments(0)仕事人の叫び 

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