対人関係においては、“お金が絡むと人は変わる”ということを肝に銘じるべし他人の考えで生きる必要がどこにある。自分の幸せは自分で感じるものだ。

2018年08月16日

連休最終日に思うこと、休みは期限があるから楽しめるのだ

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(もし、連休に期限がなければ、、、)
日曜日から始まった五連休もいよいよ今日が最終日。
周囲には、昨日が連休の最終日で今日から仕事再開という人も多いようです。
また、大企業勤務者の中には今週いっぱいは連休が続くという人もいるようです。
私は、連休の過ごし方は毎回ほぼ同じなのですが、これといった予定を立てずに休みに突入し、連休期間中はダラダラ過ごす(起きてから何となくいろいろやりながら過ごす)という感じです。
今回もそんな感じでした。
若い頃は、実家のある郷里へ帰省することがよくありそれが予定らしい予定だったのですが、もう何年も郷里へ帰省しない生活をしているので先程いったような連休の過ごし方になっています。

ところで、私思うんですけど、休みは期限があるから楽しめるんだろうなと。
かつて、長期間無職生活(1年前後)を送った経験が何度かありますが、就職の目処が立たず仕事をしていなかった期間は期限なしの休みのようなものでした。
いってみれば超大型連休といったところでしょうか。
もし、これが期限が明確になっている仕事休みの連休だったならば楽しいという感覚で日々を過ごすことができたかもしれません。
しかし、失職してからは最初のうちこそ解放感があって自由な行動ができることを楽しめたものの、次第に苦痛になってきました。
生活費に困っていなくてもそうでした。


仕事をしていないと、一日、一週間、一ヶ月、一年、空白の時間、日が増えます。
確固たるライフワークを持っていない人は、それこそ、たまに入れる予定以外は暇な時間ばかりです。
朝起きて、やることを都度都度考えながらやって、食事したい時に食事をとり、そして一日の終わりには寝る、そしてまた翌朝を迎える、そんなことの繰り返しになります。
これが無期限に続くと思うと何かぞっとしませんか?
もちろん、貯蓄も収入もない人はそんな生活は続けられないでしょうけど、仮に年金生活者が年金と過去の貯蓄等の個人資産だけでこういった生活が維持できるとした場合、その人は日々の生活に退屈さを感じず悠々自適の老後生活を送れるでしょうか。
おそらく難しいのではないか、と私は思います。

まとまった休みが取れる連休の最終日になると、「あー、今日で休みが終わるのかぁ、明日から仕事かぁ、辛いなぁ」と思う人は多いはずです。
そして、「もっと休みたいなぁ」と思う人もいるでしょう。
私も会社の正社員として働いていた頃はよくそう思ったものでした。
勤め人時代はその繰り返しだったともいえます。
一方で、先程も言いましたが、長期無職生活を送っていた頃はいつまで休み(仕事のない日)が続くかわからないまま日々を過ごしていましたが、その時の心境は全体的にみれば、漠然とした不安みたいなものに覆われ、過ぎていく時間を心から楽しんでいるという感覚はありませんでした。
仕事人にとって連休は嬉しいものですが、それはあくまで期限があるから楽しめるのであって、また期限があるからこそ濃密に休みを過ごせるのだと思います。
このお盆の時期に連休の取れた皆さんは、連休をどのようにお過ごしになられましたか?

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yoron at 07:03│Comments(2)仕事人の叫び 

この記事へのコメント

1. Posted by nono   2018年08月16日 07:53
5 本当にそうですね。
昔は労働しなくてよい経済的自立とか自由に憧れていましたが、じゃあ毎日何して過ごすの?と真面目に考えると、そんなに無いんですよね。
そんなわけで私は定年後になっても働いています。
ヨロンさんもお体に気を付けてお過ごしください。
2. Posted by ヨロン/竹内富雄   2018年08月17日 08:30
>nonoさん

ご賛同いただきありがとうございます。m(_ _)m
私も同じです。
定年を従来型の働き方の区切りとするなら、定年後は無理をし過ぎず自分に合った働き方をするといいかもしれませんね。

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