50代以上の勤め人は現実を直視した人生設計が大事同じ土俵で同じ仕事をする場合、若者よりいろんな面で劣る中高年はいかに戦うか

2018年07月06日

会社(組織)の看板だけで生きてきた人の末路

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(お金にならないけど、世のため人のためと思って何かやるのは大事ですよね)
会社を定年退職し自由気ままに生活している知人が漏らしていました。
知人がある時趣味の会に参加したそうですが、参加者は似たような境遇の人ばかり。
その会で何かの役割を自主的に引き受けてくれる人を募ったら誰も手を挙げなかったのだとか。
知人いわく、「この人たちもかつてはそれぞれの勤務先の第一線で活躍していたであろうに」と。
私も似たような経験をしたことがあり、自分自身も手を挙げなかった側の人間になったことがあります。
なぜ手を挙げないのか、私の場合で言えば、こんな思いがありました。
・1円の得にもならず負担が増えるだけなのでバカバカしくてやる気になれない。
・「こんなことに積極的になるなんてバカなやつだ」と周囲に思われるのではないか。
・自分でなくても誰かがやってくれるだろう(自分は言われたことだけをやっているほうが楽)。

例えば、一つの会社(組織)で長く働いていると、一緒に仕事をしている人たちとの付き合い方もわかるし、自分の仕事には慣れているのでどう振る舞えば得をし逆に損をするかというのもよくわかります。
また、現役時代は多くの時間をその会社(組織)の仕事のために費やすので、それ以外のことはどうでもよくなります。
要するに、現役時代のもっぱらの関心は、自分が勤務する会社(組織)のこととそこでの仕事を通して得られる収入などの利益、そしてその利益を何に使うかということでしょう。
仕事が忙しければ忙しいほどそうなってしまうのは必然です。
仕事の傍らで世のため人のためとボランティア活動などに熱心に取り組んでいるような人はそれほど多くないのではないでしょうか。

そうやって長い間生きてきた人が、ある日勤務先の退職を余儀なくされ、自分の意思だけでやるも自由、やらないも自由という環境に身を置くことになったらどうでしょうか。
一人だけの振る舞いが許される状況、環境であれば何も戸惑うことなく自由気ままに振る舞えばいいと思います。
しかし、ボランティア精神が試される集団活動などにおいては、自分で自分の行動基準を決められずどう振る舞っていいかわからずとまどうことも多くなるような気がします。
小中高時代に、先生から「誰かクラス委員長を引き受けてくれる人(やりたい人)はいませんか?」と言われた際、多くの人がやりたくないのでその瞬間教室内がシーンとなった、あの場面を想像するとわかりやすいでしょう。
理想で言えば、仕事の現場の第一線で活躍していた(と自負している)人ほど、第一線を離れてもかつての力を生かして新しいステージで活躍してほしいものですけどね。
冒頭で紹介した知人の話を教訓として、私自身は仕事を離れた場でも社会、周囲のために貢献できる人間であり続けたいと思う今日この頃です。

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yoron at 11:12│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 仕事人の叫び 

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