自ら組織を動かせる人と動かせない人の違いは、大局観を持っているか否か他人の話は共感できたり参考になる時だけ聞け、批判・非難目的ならたんなる時間の無駄だ

2018年05月12日

競争社会では負けたら退くしかない。そこで潔く負けを認め気持ちを切り替えて次を目指せる人がチャンスを掴める。

8月11日抜けるような青空1
(人生において負けは成長の肥やしになる。負けたら気持ちを切り替えて次を目指すことが大切)
昨今は学校で成績の順位を付けないなどという私の学生時代からは考えられないような教育も行われているようですが、しかし、そういう学校生活を送っても学校を卒業して就職すれば厳しい競争社会が待っています。
会社に入れば、仕事遂行の能力・成果によって序列が決まり、収入等で差が出てきます。
大きな会社に会社に入社し、若いうちは多くの同期と苦楽を共有できても、そのうちだんだんとお互いの間に出世・収入面等で差が出始め、勝ち組はそれを誇りに思い、負け組は仕事以外に自分の世界を持つことで心のバランスを保とうとしたりします。
私は人間を勝ち負けで分けるのは好きではありませんが、ただ、競争社会では競争の場面になれば勝つ人と負ける人がいるのは当然でこれは認めるしかありません。

問題なのは、というか大事なことは、自分が負けた時はそれを潔く認め、気持ちを切り替えて次を目指せるかどうかです。
偉人伝を読むまでもなく、世の中には敗者が復活した例はいくらでもあり、逆に負けを経験したことでそれをバネにより一層自分に磨きをかけ以前より大活躍している人もたくさんいるということです。
私は潔く負けを認め気持ちを切り替えられる人をとてもかっこいいと思います。
一方で、自分の負けを認めたくがないゆえに自分の正当性ばかり主張していつまでもぐちぐち言っている人はかっこ悪いと思います。
極端な話、「いやぁ、あいつには負けたよ。こちらの力不足だった。気を取り直してまた頑張るよ」とからっと言える人は本音は別にしても見込みがあると思えますが、「あいつは卑怯なやり方をした。本当なら私のほうが力は上なのだから勝っていたはずだ。私はあいつの勝ちを認めないぞ」と負け惜しみばかり言う人は人生で同じことの繰り返しでしょうから見込みはありません。


私がかつて勤めた会社で私の上司だった人は、それ以前に勤めた外資系の会社を首になった経験を持った人でした。
その時の心境について直接本人に聞いたことがあったのですが、首を宣告され実際に辞めてからしばらくはなかなか立ち直れず自殺することまで頭をよぎったそうです。
カウンセラーの世話にもなったそうです。
その人はその状態を切り抜けその後再起を果たすことができたわけです。
私が現在身を置く料理人の世界は弱肉強食の世界で、料理人としての腕がなければ腕のある人によって自分のポジションを奪われてしまう下克上の世界です。
あるお店のある料理作りを担当していても自分よりもうまくできる人が現れれば上司(経営者)はすぐに担当を変えるので、変えられた人は必死に他の仕事を探すかそのお店を辞めて次の仕事を探すしかありません。
私も以前勤めたお店で戦力外通告をされたような状態になったのでそのお店を辞めた経験があります。
私は、勝つこともあれば負けることもあるのが人生だと思っています。
生涯常勝人生という人もまれにいるかもしれませんが、まぁ、ふつうの人は勝ち負け両方を経験するんじゃないでしょうかね。

やや脱線しますが、人付き合いの点において、私は、自分が負けた時に潔く負けを認めて気持ちを切り替えられる人と付き合ったほうが自分の幸せにつながると考えています。
先程例に上げたような自分の負けを認められずぐちぐち言うタイプは、粘着質で他人批判ばかりして他人の足ばかりひっぱろうとします。
そんな人と付き合っても何もメリットはないですよね。
自分以外の第三者をその人が批判したり、自分の利害に絡まない事柄について評論している時はこちらには何の実害もないのでいいのですが、それが自分に向けられた時はその人の人間性が見えて嫌な気分になります。
仕事が絡んでいてしかたがない局面では我慢して付き合わざるをえない場合もありますが、そうでなかったら私はそういうタイプの人とは極力距離を置くようにしています。

これまでいろんな会社で働いてきましたが、仕事上で付き合っていた人もその仕事を辞めた後はほとんど縁が切れています。
仕事の切れ目が縁の切れ目という感じでしょうか。
お金の切れ目が縁の切れ目という言葉もある一方で、袖振り合うも多生の縁とか一期一会といったような言い方で人の縁は大事にしようみたいな言葉もあります。
どちらも本質をついているとは思いますが、ただ、仕事絡みでこちらが相手から利益を得ることを目的として付き合っていた場合などは仕事の絡みがなくなると縁があっさり切れるのは自然でしょうし、世の中はそうしたものなのかもしれません。
私にはドライな面もあるので、自分の人生、自分の活動にとってマイナスの存在になる人とは付き合いを避けます。
かつての仕事上では自分より上だった人(自分にあれこれ命令した人)や取引上優位な立場に立っていたような人が、仕事上のつながりがまったくなくなった後も同じスタンスで接してこようものなら即拒絶します、「てめぇ、何様のつもりだ、いいかげんにしろよ!」ってなもんで。

冒頭の話題に戻りますが、個性ある人間を育てるという趣旨のもと学校で成績の順位をつけないというのもいいでしょう。
組織内での出世競争は自分らしさを失うので組織に属さない働き方を選ぶという仕事人人生もあるでしょう。
しかし、国家間であれ組織間であれ個人間であれ競争社会において競争がなくなることはありません。
その現実をしっかりと認識した上で、もし自分が負けたら潔くその負けを認め、気持ちを切り替えて次を目指すことが大事だし、またそれができる人がチャンスを掴めるような気がします。

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yoron at 09:00│Comments(0)仕事人の叫び 

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