仕事人は基本的に自分に利益をもたらしてくれる人が好きである自分を買って(評価して)くれる人がいなければ活躍できる場はない

2018年04月12日

老兵でも活躍できる場があるのはいいことだと思う

お父さん
(老兵だって戦いのやり方、戦いの場を変えればまだまだ戦える?)
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」とは、連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥の言葉とも言われておりますが、本人の意図とは別のところでこの言葉からいろんことを思い浮かべます。
年とった仕事人はバリバリ仕事ができる時期は過ぎたかもしれないが、まったく仕事ができないというわけでもないので残りの仕事人人生を自分なりのやり方でまっとうするだけさとか、仕事人は年とったからといって死ぬわけではなく、ただ仕事の場から去っていくだけさとか。
やや曲解した部分がなきにしもあらずですが、日本社会の今後の問題を考える時、どんどん進んでいく高齢社会における高齢者と仕事の関係は大テーマになるかなと思います。

私は基本的に高齢者(私の定義では50代以上)が活躍できる仕事の現場が増えるのは望ましいことだと考えています。
今の現実では、仕事人は50代以上になると少数の人を除けば活躍の場が少なくなっていきます。
50代以上の人で新しい職探しをした経験を持っている人ならわかるでしょうが、求人自体も少ないし、自分がこれまで長年やってきた仕事の経験を生かせそうな仕事の求人はなかなかないんですよね。
だから、長年半導体の技術開発の仕事に携わってきながら、定年退職後は警備員やマンション清掃の仕事に就いた人がいるとか、長年バリバリの営業マンをやってきたのに次の仕事は老人介護施設の介護スタッフだったとか、という感じになったりします。


日本がある程度の豊かさを保っていくには、やっぱりそれなりの数の仕事人が仕事を通して日本社会を支えていくしかありません。
「私は長年一生懸命仕事をしてきて十分世の中に貢献したんだから、現役引退後は一切仕事しないでのんびり暮らすんだ」という人ばかりどんどん増えていったら豊かさが維持できるわけがありません。
貧乏な社会でも現実がそれなら甘んじて受けようという謙虚な人ばかりだったら問題ないのでしょうが、過去に豊かさを経験した人にとってはそんな社会は受け入れがたいのではないでしょうか。
日本企業の定年が60歳というのが多かった時代は“60代以降は引退生活”みたいなイメージがありましたが、今どきの60代は元気な人が多くまだまだ現役仕事人という人もたくさんいます。

私は現在、夜に日本料理店の厨房で板前として働いていますが、同僚は私以外は全員60代で最高齢は70歳近い人です。
「若い頃のようなキレはなくなった」と皆さん口々に言いながら、元気にかつ仕事はきっちりやっていますし、年季が入っているだけに仕事の出来映えは見事なものです。
職人の世界だからなおさらです。
こういう現実を目の前で見ていると、現役の仕事人には失礼かもしれませんが老兵でも活躍できる場があるのはいいことだなぁとつくづく思います。
「老兵は死なず、ただ活躍の場を変えるのみ」のほうがしっくりくるような気がする今日この頃です。

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yoron at 09:40│Comments(0)仕事人の叫び 

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