人生の振り返りは面白い、10年前の今日はこんなことを思っていたらしい新人の姿を見て、私もあなたも昔を思い出し気持ちをフレッシュにしようではありませんか

2018年04月02日

残りの人生を思う時、人は転機を迎えるのであろう

郷里の廃屋
(かつてはある家族が仲良く暮らしていた家も、今は主なく廃墟として草むらの中にたたずむ、@郷里)
ある地方都市で暮らしている兄から、同じ都市で暮らしている県庁勤めの同郷の友人が勤務先を辞め郷里に帰ることを決断したという話を聞かされました。
地方で県庁といえば安定した勤務先の代表みたいなもので、定年まで数年という期間を残しての退職、きっと何かしら思うところがあったのでしょう。
決断に至るまでのその人の思いがどういうものだったのかわかりませんが、きっとあれこれ悩み、考え抜いた結果の決断だったのではないかと想像します。
この人に限らず、人には人生の中で転機というものが必ず訪れるものですが、そのタイミングみたいなものの一つに“残りの人生を思う時”があるような気がします。

20代のような若い頃に残りの人生がどうとかこうとか考えをめぐらすことはあまりないかもしれませんが、40代になり、50代になり、60代になり、70代になりと歳を重ねるとその思いが強まるものなのでしょう。
私は現在50代で東京暮らしですが、若い頃はそれほどでもなかったのにこの頃は郷愁の念に駆られることもあります。
故郷で暮らしていた頃は壮大な夢を抱き、一日も早く故郷(狭い世界)を離れ世の中のいろんなものを見てみたい、いろんなことを経験してみたいという思いが強かったのですが、長い人生の中でそれを実現してきた結果、今度は逆に故郷の良さが見えてきたのかもしれません。


東京で暮らしているといろなものが便利なので楽です。
会社勤めをしていれば誰かが仕事を与えてくれるのでそれをこなしてさえいれば人生の空白はなくなります。
他人が敷いたレールの上を歩んでいる限り、レールが終わるところまではとりあえず進んでいけます。
しかし、都会と比べたらいろんな面で便利さにかける地域では自らが自分の生活を便利にしていかなければなりません。
雇ってくれる会社のような働き先がなければ、食べていくための何かをしなければなりません。
郷里の私の実家では、現金収入が少ないので家族が食べる野菜は畑で栽培しています。
そんな環境であっても、ないならないで知恵が働き、自分で工夫するのでそれがやりがいだったり、楽しみにつながる面もあります。

自分の人生を振り返ってみてこれまでずいぶん転機があったように思いますが、残りの人生への思いが強くなればなるほどその転機を自らどんどんつくっていっているようにも思えます。
ある面で安定していた会社員生活をやめ、一見無謀にも思える未経験の仕事にチャレンジする、しかも50代になって。
でも、考えてみれば、残りの人生を意識したからこそ「やりたいことをやれるうちにやっておこう!」という思いが強くなり行動に踏み切らせたのかもしれません。
「あと5年同じ環境で働いていれば年金面などで有利だな」という思いも当然あるにはありましたが、それよりも「やるなら今でしょ!」という思いのほうが勝ったということです。
あなたは残りの人生を意識することはありますか?
意識したことで心境に大きな変化はありましたか?

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yoron at 08:15│Comments(0)仕事人の叫び 

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