「この世界(業界、仕事)はなぁ、こういうもんなんだよ」と得意げに語り出したら、井の中の蛙になった証拠だ「I think」、「I do」の癖をつけよう、他人はその人自身がどう思うか(思っているか)、その人が実際に何をやるか(やっているか)を評価する

2018年03月19日

その環境でしか得られないものはその環境がなくなった時に失う、だから他の環境にも対応できる準備をしておいたほうがよい

雪に覆われた嵐渓荘1
(あなたが得ているものは、今の環境だからこそ得られているのでは?)
50歳近くで入学した調理専門学校の夜間クラスのクラスメイトはいろんな人生背景を持った人ばかりでしたが、中でも50代、60代の人は世代が近いこともあってお互いに話しがしやすく共感し合える部分がありました。
共感という点でいうと一番大きな共通点は、その世代の人は次の人生展開のために何かを得たくて学校に入学したということです。
映画監督山田洋次の『学校』という映画を観たことのある人ならわかるかもしれませんが、特に夜間の学校というのは自分なりの人生の目標を見つけようと、人生をやり直そうと、またそこで何かを得たいと思って一大決心で通ってくる人が多いんですよね。

60代のクラスメイトの中に、大手製薬会社で再雇用のもとでの仕事をしながら食に興味があって勉強しに来ている人がいました。
彼は人一倍熱心に勉強していました。
会社では技術研究の仕事をしていたらしく、授業で先生に質問する時はかなり専門的な事柄について聞き、他のクラスメイトはついていけないほどでした。
そんな彼は、学校卒業後は郷里に帰り実家の畑で野菜類を栽培するんだと言っていました。
彼は、こういう感じで会社を辞めた後の人生までしっかり考えその考えのもと着々行動を起こしていたわけです。


私も長い間会社勤めしていたのでわかるのですが、雇用されて働いている人は雇用の期限が来るとその時をもってその会社(組織)とは縁が切れます。
つまり、勤めていた会社(組織)で得られていたものは失ってしまうわけです。
とりわけ、仕事を失うし、その会社(組織)でしか得られなかった地位や名声も失い、またその会社(組織)で通用したような仕事のノウハウ・スキルも社外(組織外)では通用しにくくなるでしょう。
大企業時代は会社の看板のおかげで周囲の人がやや羨望の態度で接してくれ、言動についても「いやぁ、立派な会社にお勤めだから考え方も立派ですね」などとお世辞の一つも言ってくれたかもしれません。
しかし、一旦その会社(組織)を離れてタダの人になったら、その人に周囲の人をひきつけるだけの何かの魅力でもなかったら相手にすらしてもらえなくなります。

会社(組織)の環境のことを例に出しましたが、他にも、例えば、東京のような何でも気軽に手に入る便利な大都会で暮らしていた人が何もないような環境の人口過疎地の田舎に移り住むというケースも似たようなものです。
都会でいろんな仕事をしていろんなノウハウ・スキルを身につけていても、それを生かせる場がなければ田舎では仕事なんかできないのです。
半導体の技術者が、人事のスペシャリストが、品質管理のプロが田んぼしかない環境に身を置いたらとまどうばかりで、逆に地元の人からは「何もできないのね」と言われかねません。
若い頃、大手の電機会社で働いていましたが、当時郷里に帰省すると、母親から「電機会社に勤めているなら、電柱の電線が切れたら修理できるね」だの「TVが壊れたら直せるね」などと真顔で言われたことがありますが、極端な例にしても、環境が違う世界で生きるということはこれぐらい違う意識のギャップを生むものなのです。

私は、40代の頃あたりから、それまで培ってきたものはそれが生かせる環境がないと生かせないと思うようになり、それなら仕事人人生を長く続けるため有利なノウハウ・スキルを身につけようと考えるようになりました。
それで職人の道を目指そうと決心したのです。
以前読んだ『終わった人』(内館牧子著)、『定年バカ』(勢古 浩爾 著)という本では、定年後の人生はそれほどバラ色(悠々自適の生活とか)ではなく逆に厳しい、虚しい場面がむしろ多いということが書かれています。
かつて長期の無職生活を送っていた頃、周囲の現役仕事人たちの前で滔々と自説の仕事論を語っていたことがありましたが、現役の仕事人たちは一応聞く振りをしながら内心では「へぇ、言うことはご立派ですね。でもあなたは会社(組織)のしがらみがないからそんなに好き勝手言えるんですよね」と思っていたようでそれは態度からも見てとれました。
そりゃ、目の前の相手の勤め先の会社と利害関係があればそうそう自由なもの言いなんてできませんからね。

昨今、巷では“忖度(そんたく)”(意味:他人の気持をおしはかること)という言葉が流行っていますが、例えば、大企業を得意先として出入りしている小さな会社の社員は、取引先の大企業の担当者が権限を持っている場合、相手の機嫌を損ねて取引中止にでもなったら一大事なので常に忖度しながら付き合うものです。
逆に、大企業側の担当者はそういう環境に慣れ過ぎてしまうと、会社の看板のおかげで仕事ができているにも関わらず自分には力があると錯覚してしまいがちです。
結局、会社の看板が大きければ大きいほど、大きな仕事をしたと思っていてもそれはそういう環境があったからこそできたということです。
そういう会社(組織)に属している時はなかなか実感できないかもしれませんが、その会社(組織)と縁が切れると否が応でもわかるようになります、身に染みて。

所詮、一個人の力でできることなんてたかが知れているんですよ。
「国はこうすべきだ」、「企業はこうあるべきだ」などと理想論を語る人に、「じゃ、あなたがそれを実現するために行動して下さい」と言おうものなら、おそらく、ほとんどの人は押し黙ってしまうか、なんやかんやと自分がやらない言い訳をするでしょう、だって、現実的には一個人ではできっこないんだから。
そういったことから、現実の世の中を着実に生き抜いていくためには、「その環境でしか得られないものはその環境がなくなった時に失う、だから他の環境にも対応できる準備をしておいたほうがよい」という知恵を持つのが大事だということでしょうかね。

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yoron at 11:36│Comments(0)仕事人の叫び 

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「この世界(業界、仕事)はなぁ、こういうもんなんだよ」と得意げに語り出したら、井の中の蛙になった証拠だ「I think」、「I do」の癖をつけよう、他人はその人自身がどう思うか(思っているか)、その人が実際に何をやるか(やっているか)を評価する