ないものねだりばかしていてもしかたがない、なければ自分で創ろうではないか。そうすれば人生はより充実するはずだ。若い時の苦労、親の背中を見て育った経験は人生観、仕事観に影響を与えるもののようである

2018年01月09日

時給上昇について、時給労働者の視点から考えてみた

高島屋タイムズスクエアから見た新宿の風景1
(時給の上昇、誰にとってメリットがあるのでしょう?。その行き着く先は)
最近、人手不足による時給上昇が止まらないみたいな見方が出ていますが、時給労働者の当事者の一人として言わせてもらうと、時給は高いに越したことはないという程度のことで、どこそこの会社の時給が高額だなどいうニュースは自分の生活上は何の意味もないのかなと。
例えば、時給1,000円のアルバイトがあったとして、一日10時間働いて週一日休みで25日の労働日があったとしましょう。
そうすると、このアルバイトをした人の名目上の総収入は以下のように単純に計算できます(残業による割増はないとします)。
1,000円✕10時間✕25日=250,000円
ここから、法定の雇用保険料とか税金とかが差し引かれると手取りはもっと少なくなります。
さらには、全額自己負担の社会保険料を払えば生活費にあてられるお金はさらに減ります。
それに、会社の正社員として厚生年金保険料を払うのと国民年金を払うのでは将来の受給年金額が異なり、国民年金しか払っていない人は年金だけでは生活できないレベルです。

上記のように、アルバイトやパートだけで生計を立てている人は、時給が上がることはありがたいことではあるものの生活が大幅に改善されることはないでしょう。
で、私の経験上でいうと、1,000円✕10時間✕25日=250,000円というふうに単純計算できる収入が見込めるならいいほうで、時給は高くても就業時間が短かったり、短期間で仕事が終わってしまったりなんてこともあるので(正社員に比べ雇用が不安定)、実際のところ、非正規社員の身分で働いている人たちの収入は時給だけで見てはダメで月収なり年収で見ないとダメなんです。
また、バリバリ働いてくれる若者は高い時給で雇うが、高齢者や外国人労働者は足元を見て安く雇うという姿勢が採用側にあるので、高齢者や外国人労働者は時給上昇の話題は他人事に聞いてしまうこともあるのです。


かつて、時給換算すれば3,000円ほどの仕事を請け負いでやった経験があるので、巷のニュースで東京都の最低賃金が958円になっただの、どこそこの飲食チェーン店は時給が1,500円で高いだといっても、なんだそれぐらいの金額で高いとか言っているのかと思ってしまうのです。
大学生や高校生が小遣い稼ぎでやっているアルバイトだとか、家庭の主婦が家計の足しにするために空いた時間でやっているパートみたいなのであれば、時給が上がれば素直に嬉しいかもしれません。
でも、アルバイトやパートとの身分とはいえ生活がかかっている人にとっては、雇用の安定のほうが大事というのもあります。
実際、私自身の例でいえば、以前、時給1,200円で深夜10時以降勤務の場合は1,500円のアルバイトをしていたのですが、シフト制労働だったため毎日仕事があるわけではなく週一日しかないなんてこともあるような仕事だったので、現在は時給は安いけど継続性のある仕事に切り替えました。

考えてみると、私がかつて正社員として会社の採用担当者をしていた頃、人材派遣会社に派遣スタッフを依頼する際、業務内容が単純作業のような場合はコスト優先で極力安い金額を提示した人材派遣会社を使うようにしていました。
これは逆の立場、つまり派遣されるスタッフの立場でみると安い賃金で雇用されることを意味します。
企業側の視点でいけば、人件費のコントロールは自社の企業競争力との絡みで大きな経営課題なので、昨今の時給上昇傾向が産業全体に、日本全体に広がっていくとしたら、おそらく、どこかの時点で従業員の採用のあり方、雇用のあり方を大幅に見直すに違いありません。
費用対効果で非正規社員の雇用が望ましければ正社員を削減したり、日本国内の人件費が高過ぎれば海外に拠点を移したり、ネットで海外に仕事を発注したり、人手をかけていたところにシステムを導入したり、、、結局、時給の上昇=人件費の上昇は、かつての産業構造の変化を再び繰り返すだけなのかなとも思ったりします。

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yoron at 14:37│Comments(0)仕事人の叫び 

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