雇用形態も自分に合うのを選べばいいあなたの知らない人事異動の舞台裏

2017年03月27日

自分で自分を追い詰め吹っ切れた経験が精神を強くする

自分の悩みを他人に話した時、聞いたほうは「この人は何でこんなこと(この程度)で悩んでいるんだろう」と思うことってありますよね。
一方で、悩みを打ち明けたほうは、自分の悩みをわかってほしいと強く思うがゆえに、相手から軽い反応しか返ってこないと、「なんでこの人は私の悩みがわからないのだろう」と落胆してしまうかもしれません。
おそらく、悩みを聞く側に共通体験があれば相手の悩みに共感できる部分もあるのでしょうが、そういった共通体験がまったくなければ、うなずくポーズを見せるぐらいが精一杯で相手の悩みを理解するのは難しいでしょう。
結局のところ、自分が抱えている悩みや問題を解決できるのは自分しかなく、他人ができるのはアドバイスするとか、物理的に何か手助けできることがあればそれをするぐらいです。

私の田舎は鹿児島県の最南端に位置する与論島という小さな島ですが、18歳の頃までこの島で両親他兄弟姉妹の家族と一緒に暮らしていました。
当時、家族の中の人間関係を含むいろんな問題などもあり、とにかく高校卒業と同時に早く島を出たいと願っていました。
高校時代には、田山花袋の『田舎教師』や島崎藤村の『夜明け前』のような文学作品を読んでは、自分の中のもやもやしたものを払拭したいと思い続け、それが島を抜け出したいという思いにつながっていきました。
島を離れ、東京という大都会で一人暮らしをし始めた時は、なんて自由なんだろう、なんて楽しいんだろう、なんて刺激的なんだろうと、束縛されていたものから一気に解放された感じがしたものです。


大学卒業後、転職をしながらいろんな会社で働いてきましたが、会社という組織の中に身を置くと、不思議なもので島で暮らしていた頃のような何かに束縛されている気がしました。
本当は考え方次第、気持ちの持ち方次第、行動のし方次第でその束縛感はなくせたかもしれませんが、なぜか私にはそれができず(そのやり方も知らなかった)、自分で自分を追い詰めていたのだと思います。
私の場合、仕事を自分一人で抱え込んでしまうタイプの人間だったので、自分に与えられた仕事が負担になった時に他人に手伝ってもらうということができず、よく一人で悩み苦しんでいました。
だから、仕事量が多い時でも、自分で何とかしなきゃという思いが強く、そのため、若い頃は徹夜で仕事したり、休日返上で一人事務所に出勤して仕事をしていたこともあります。

要領のいい人であれば、誰かに手伝ってもらうとか、うまく上司を使って仕事を他の人に分散させるやり方もできたのでしょうが、残念ながら私にはそんな考え方はなく、まぁ、そこが私の仕事人としての限界だったのでしょう。
ただ、自分で自分をどんどん追い詰めていくと吹っ切れることがありました。
「自分としてはできるだけのことはやった。それでダメ出しされても、怒られてもいいや」という割り切りみたいなもんですか。
そういう経験をしてきたからでしょうか、似たような状況になった時にそれほど自分を追い詰めなくてもよくなりました。
「あの時、あれだけ悩み、苦しみ、あれだけのことをやったことに比べたら、今目の前にあることは大したことではないな」と思えるようになったのかもしれません。
そう考えると、自分で自分を追い詰め吹っ切れた経験というのは精神面を強くしているんだなと思うのであります。

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