自分の力が及ばないことに時間を使うより、自分の力でどうにかできることに時間を使うほうが有益自分の仕事を会社任せにせず、自分が目指す方向を決め、目標を持ちながら仕事しよう

2016年10月31日

他人を見る時は、人の魅力はそれぞれ、人は変わるもの、と念頭に置くべし

例は悪いのですが、目の前のカップルを見てこう思ったことはないでしょうか。
「なんでこんなにいい男なのにこんな女を選んだのだろう」、「なんでこんなにいい女なのにこんな男を選んだのだろう」、「なんでこんなに若いのにあんな年上の人を選んだのだろう」、「なんでこんなに年食っているのにあんな若い人をひきつけられたのだろう」と。
当人たちにとってみれば余計なお世話なのでしょうが、他人の見方は往々にしてそういうものです。
そこには好奇心とか嫉妬とかそういったのが含まれています。
当人たちの関係にフォーカスすると、人は誰かに魅力を感じる時、自分の価値観とかその時の心境を大事にします。
これは自分の人生を振り返ってみるとよくわかると思います。
自分が何かを成し遂げたいと強く思っている時に、その気持ちを理解してくれ大いに協力してくれる人がいたら、その人に感謝の念を抱き、異性であればひかれていくことでしょう。
また、何かで挫折し傷心状態にある時に優しくしてくれる人がいたら同様にひかれるでしょう。

私の知り合いの若い女性に、誰かと一緒にお酒を飲む時、特に異性と飲む時は、かなり年長の男性相手のほうが楽しく、美味しく飲めるという人がいます。
彼女に言わせると、同世代の若い男性は言動が子供っぽくて嫌なんだとか。
その点、年上の男性は包み込む包容力があって、さりげない気の遣い方ができたり、話題の展開力があったりして魅力的なんだとか。
そう感じる若い女性が現にいることを考えれば、若い女性と年輩の男性のカップルができるのは不思議ではありませんね。
『蓼食う虫も好き好き』ということわざもありますが、誰かが誰かに魅力を感じる時、そこには人それぞれの感じ方があるのでしょう。
だから、他人がとやかく言うことではないのかもしれません。


また、人は時とともに環境変化とともに変わっていく生き物です。
何年も経って久しぶりに再会した時に、「あなたは昔とちっとも変っていないね」なんてお互い言い合うことがあるかもしれませんが、それは何かの仕草などの片鱗に昔の姿を重ね合わせて昔のことを思い出しただけで、実際は目の前の相手は昔とは変わっているのです。
だって、確実に年をとり、その人なりのいろんな人生経験をし、それらの経験が考え方にも影響を与えているわけですから。
かつてやっていた何かの活動仲間が何十年かぶりに出会った際、「あなたは当時と比べずいぶん変わったね。昔は活動的で積極的だった。大いに夢を語って周囲をひっぱる人だった。でも、今は大人しく消極的で、現実的な話しかしない」と一方が言うとしたら、言った人の頭の中には“人は変わるもの”という考え方が抜け落ちているのです。
そして、言った人は、当時のあなたには魅力を感じたけど、今のあなたには魅力を感じないと思っているかもしれません。

私は、人は変わると思っている人間なので、相手に変わらないことを期待する人とは付き合いづらいと考えています。
なぜって、自分は変わっているのに相手にだけ変わらずにいて欲しいというのはたんなるわがままだし、自己中心的な考え方に凝り固まっているからです。
友情関係であれ、夫婦関係であれ、一方が相手に対し「昔のあなたはよかった」みたな感情を持ち出したら、その時点で関係はもう終わっているようなものでしょう。
関係を長続きさせたいのであれば、お互いに相手の変わりゆく姿をありのままに受け入れる懐の深さが必要なのです。
あれこれ言いましたが、私なりに思うことは、「他人を見る時は、人の魅力はそれぞれ、人は変わるもの、と念頭に置く」ことが大事なのかなということでしょうか。

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