自分の勘を信じろ、案外当たることも多いものだ自分の中に違和感を感じたら辞め時なんだと思う

2016年10月19日

主体的に仕事をしているか、惰性で仕事をしているか、できる仕事人とできない仕事人の違いはここにある

「今日も遅くまでよく仕事したなー。疲れたー。帰りに一杯飲みに行くか」、そう思った人が、仮に、遅い時間まで仕事をした=よく仕事をした、仕事の中身=量が多かったルーチンワークをこなしただけ、その人のタイプ=指示待ち、だったなら、残念ながらその人は“できる仕事人”の範疇には入りません。
実はこういう仕事人は勤め人に多いのですが、私自身も経験あります。
かつて、どうでもいいような仕事(付加価値の低い仕事)をよく振ってくる上司に仕えたことがありますが、その上司は、こちらが仕事が終わったので帰る素振りを見せると、「何だもう帰るのか」とちくりと皮肉を言って帰りづらくさせ、定時を過ぎた頃に「他に何かやることありますか?」と聞くと、その日にやらないでもいいような仕事を振るような人でした。
その上司の元で仕事をしていた時は、振り回されるだけ振り回され、しかも遅くまで居残るのが常だったので、仕事には多忙感があり、長時間労働で疲労感もあったので「仕事をした!」という感覚があったのです。

しかし、この時の仕事には欠けているものがありました。
それは、仕事をする上で“主体性がない”ことでした。
言われたことをこなしていただけ、その仕事をどうすれば効率化できるかとか、その仕事の価値はどうかとか、自分の頭で考えることなしにたんに作業をこなしているような状態でした。
ある程度仕事に慣れてくるといちいち指示を仰がなくても一人で回せることも多いものですが、それは主体的に仕事をするというのとは違います。
言い方は悪いかもしれませんが、仕事に慣れる=惰性で仕事をする、という見方もできるのです。
ずばり言いますが、惰性で仕事をするのは“できない仕事人”の特徴です。
できる仕事人とできない仕事人の決定的違いはまさにここにあるのです。
つまり、主体的に仕事をしているか、惰性で仕事をしているかという点です。


この仕事は毎日やらなければならないからと淡々とこなす、この仕事は毎年やっているからと同じことを繰り返す、そこに自分なりの創意工夫を加えるとか、仕事を見直すとか、場合によってはその仕事は本当に必要なのだろうかと考え、大胆に変える必要があれば思い切って提案するとか、そういうものがなければ、惰性で仕事をしているのと変わりません。
そういう人にも会社は給料を払ってくれるので、本人は残業代がたくさんついた時などは「よく仕事をした」と勘違いしてしまうのです。
できる仕事人とできない仕事人はどういう局面で差が出るかと言えば、例えば、これまでやったことのない新しいことに挑戦する時や困難な事態に置かれた時などです。
できる仕事人は自分で考える主体性を身につけているので、あれこれ考え試行錯誤しながら前へ進んでいきます。
これに対し、できない仕事人は惰性で仕事をしてきているので、考えることができずオロオロするばかり、あるいは過去に自分が経験したやり方だけでやろうとして失敗してしまいます。

同じ組織に属していると、その場で一緒の時間を共有しているというだけで全員が仕事をしている感覚になります。
朝起きて会社に行く、就業時間+αの時間を会社で過ごす、会社から毎月給料をもらう、この一連の流れで自分は仕事をしている感覚になるのです。
でも、この組織の中には、明らかにできる仕事人とできない仕事人の二種類の仕事人がいるのです。
もちろん、誰でもできる仕事人になりたいものでしょうが、全体がうまくいっているうちは、できない仕事人もそれほど困ることはありません。
なぜって、できる仕事人がもたらした利益を組織が公平に分配してくれるのでその恩恵に預かれるからです。
ただ、それもその組織が存続し組織に余力がある状況の時だけです。
何らかの事情で組織を離れることになったり、組織が余力を失えば、できない仕事人はたちまち困り、悩むことになるでしょう。
もしあなたが本気でできる仕事人を目指したいなら、日々を惰性で過ごすのではなく、少々のリスクがあっても主体的に考え行動する習慣を身につけたほうがいい かもしれません。

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