型にはまらないのが人間、無理に型にはめようとするのは無理がある2015年は、私にとって面白い年になりそうだ

2014年12月15日

夢や希望もなく、ただ惰性で生きるという生き方、したくないよね?

最近出会った私より年上の男性からこんなことを言われました。
「あなたはその年齢で未経験の分野に挑戦するなんてすごいね、大変なことが多いでしょうに。私なんて、夢や希望もなく、日々をただ惰性で生きているだけだよ」と。
この言葉を聞いてショックを受けましたが、この方の過去の人生談を少しばかり聞いて、「なるほど、そういう生き方をしていると、夢や希望というものが持てなくなってしまうのか」と多少同情する部分もありました。
私がこの方の話を聞いて受けた印象は、この方は勤務していた会社の言うがままの仕事人人生を送り続け、それなのに待遇面等でいい思いをしたことがなく、結局、便利屋として仕事人人生の終盤を迎えてしまった、という感じでした。
仕事以外に何か取り組んでいるものがあれば、その分野での夢や希望が持てたかもしれませんが、どうやらこの方にはそういったものがないようでした。

夢、希望という言葉で思い出したことがあります。
かつて勤めた会社に、窓際族の社員が集められたような部署がありました。
そこに配属されている人は定年間際の人が多く、本人たちも「定年まであとX年(X日)か」というのが口ぐせでした。
私は時々この部署を訪れ、当時親しかった何人かと世間話などをして息抜きをしたものです。
仕事に対する不満が溜まった時にこの部署の人たちにその不満を漏らすと、「あんまり無理すんなよ。頑張り過ぎて体を壊しても会社は面倒みてくれないからね。私も若い頃は一生懸命働き、無理もしたけど、今は会社から見捨てられた存在さ。会社はそういうところなんだ」というようなことを言われ、そういう言葉によってずいぶん癒されたものです。
ただ、この部署の人たちは、会社の中でのやりがいは失っていたものの、私生活面ではいろんな夢を持っていました。
憧れの地へ移住するために着々準備をしていた人とか、日本全国鉄道の旅をする夢を持っていた人とか。

どんな生き方をするにしろ、それは本人の自由です。
自分の思い通りに生きられなかった人生を悔み、諸々のことに対し不平不満を抱いたところで、それらを自分で解決できなかったのは本人の問題であり、本人の責任です。
どんな仕事に就こうと、その仕事を自分の成長に役立てられるかどうかはその人のやり方次第です。

人間が生きられる年月は限られているので、私は自分の人生を惰性で生きたいとは思いません。
まぁ、他人の生き方はどうあれ、何歳になっても、大きくなくて構わないから夢や希望は自分の中に持っていたいと思います。
仕事人、特に勤め人が気をつけなければならないのは、自分の意思がないと、勤め先の事情に振り回され続ける仕事人人生を送ってしまいかねないことです。
今のあなたは大丈夫ですか?

この記事に共感いただけましたら、以下アイコンのクリックお願いします。
人気ブログランキングへ<br><br clear=
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
型にはまらないのが人間、無理に型にはめようとするのは無理がある2015年は、私にとって面白い年になりそうだ