“その時”は人生の通過点に過ぎない与論島を離れ大都会東京を目指した時、何を思っていたのだろう

2012年06月23日

時々脱線して違う風景を見てみるのもよい

神田川

これまでの人生を振り返ってみると、一貫して一つの目標を追い求めて生きてきたのではなく、その時々でいろんな目標を立て(といってもそんなに明確なものではなく)、それに向かって進んでいたような気がします。
そして、ある目標に向かって進んでいく過程では、その目標に続くレールをまっすぐ走ったのではなく、時々脱線しながら違う風景を見に行っていたように思います。
目標の達成、効果といったものを考えるなら、脱線などせず全力でまっすぐ目標に向かって突き進むのがいいでしょう。
かつて、会社の上司や先輩によく言われたものです。
「若いうちはガムシャラに仕事をしろ。目の前のことに一生懸命になれ。それ以外の余計なことに時間を使うと仕事人として成長できないぞ」と。

たしかにそういう面はあるかもしれません。
そういった言葉を受け入れて、その時のほとんどの時間を仕事に使ったこともあります。
朝早くから夜遅く、終電まで働き、休日も会社に出てきて仕事をする、仕事一色の時期もありました。
その経験が後々生きたことは実感しています。
でも、、、
そういう人生でもいいんだという人はそれでいいのかもしれませんが、私にはそういう生き方が何となく寂しく思えました。
だから、時々、自分とは違った価値観を持ち、違った生き方をしている人たちの中に身を置いてみたくて、あえて脱線して違う風景を見ようとしていたのです。


今思うに、自分の生き方としては間違っていなかったのかなと。
自己分析するに、私という人間は、何かに対する達成意欲が高く、何か大きな事を成すことを強く望んでいる人間ではなく、自然体で、あるがままの自分を受け入れ、目指しているものは平凡なもので、そういう生き方が自分らしい生き方だと思っている人間なんだと思います。
20代や30代の半ば頃までの若い時は、「よし、起業して大儲けしてやろう!」みたいな自分に似つかわしくないことを考えたこともありました。
それは、メディア情報の影響とか、起業ブームだとか、周囲にそういう人たちが多かったのでその影響を受けたとか、そんなことがあったからでしょう。

少年時代を振り返ってみました。
あの頃好きだったのは何だったのかな、何に夢中になっていたのかな。。。
そういえば、小学生の頃、先生に提出する宿題ノートに自作の詩をよく書いていました。
ノートの3分の2のスペースには宿題の回答を書き、残りの3分の1を使って、今思うと恥ずかしいような駄作の詩を書いていました。
先生は、「こんな余計なものを書いて!」と叱りもせず、逆に「いい詩だね」と評価してくれたり、何かしらコメントを付けてくれました。
それが嬉しくて、「次はどんな詩を書いて先生に読んでもらおうかな」などと夢中になっていたような気がします。
そんな一面もあったし、また、実家が海辺にあったこともあって、海辺の砂浜を散歩しながら、あるいは砂浜に座ってボーっと海の風景を眺めているのが好きでした、かなり長い時間。
受験から解放された大学時代、東京の安アパートの一室で朝から晩までずっと本を読んでいた時期があり、その時間をものすごく楽しんだ覚えがあります。

もし今、「お前が本当に望んでいる生き方はどういう生き方か?」と問われたら、私はこう答えるでしょう。
前提条件としては、生活していくための収入を得るという現実的な部分は一旦脇に置いておくとして。
「雨露をしのげる程度の自前の住処を持ち、質素な生活でいいから生活を維持できるだけの資産を持ち(収入があり)、日々、晴耕雨読、ネットサーフィンを楽しむ生き方がしたい」と。
住む場所としては、都会のど真ん中ではなく、海や森や山など自然に囲まれたところが理想かなと。
こういうライフスタイルというのは、田舎暮らしに憧れる人が多いことからみても、おそらく、ある程度長い仕事人人生を送った人ほど思い描くことなのかもしれません。
実はこういうことを実践しようとした際、それまでの人生で脱線して違う風景を見た経験が生きてくるのです。

生きていくために、今目の前にある仕事を一生懸命やる、今いる会社で頑張る、これは現実的な生活を送る上でとても大事なことです。
私が先程言った理想的な生活を送るためにも、収入を得て資産を増やし、それで理想的な生活の実現性を高めていけば理想にだんだん近づいていけるでしょう。
一方で、物欲もなく本当に質素な生活でいいのであれば、収入面などを含め多くのものを望まず、自分が送りたい生活をさっさと始めるという選択肢もあるかもしれません。
私の弟は、大学卒業後、一度もどこかの会社の正社員になることなく、ずっとフリーターの生き方を通しています。
私に比べたら、それこそ質素で貧乏暮らしをしていますが、彼は現在の生活に特に不満はないらしく、自分に合った生き方だと言います。
こういう身近な人の生き方に触れるだけでも、自分の生き方を考える上で大いに参考になります。

人が他人に対して、「そんな生き方をしていたら将来損をするぞ」とか、「そんなことやっているようじゃ大した大人になれないぞ」とか、「私とあなたでは価値観が違うから一緒にはやれない」などと言う時、それは、言った人自身の価値観なのであり、その人が目指す生き方にしか過ぎません。
他人と自分は違うのですから、他人からそう言われても、その時自分自身を未熟な人間だと感じていたとしても、他人の価値観、アドバイスをそのまま受け入れる必要はまったくありません。
一緒にやれないというのであれば自分から離れればいいだけです。
他人とは違う生き方をすることに自信を持つためには、仕事人人生において時々脱線して違う風景を見てみるのがよいのかなと思います。
世の中にはいろんな風景があって、いろんな生き方をしている人がいる、それを知ることが自分の人生において大いなる意味を持つと思うわけです。

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yoron at 10:16│Comments(0)TrackBack(0)

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