できること、やりたいこと電通の「鬼十則」

2004年07月12日

残るか去るか

勤務先の将来が危うくなったとき、理不尽なことやつまらないことが多く耐えられなくなったとき、その組織に残って建て直しや改革に取り組むべきか、見切りをつけて去るべきか、仕事人であれば誰しも悩むのではないでしょうか。

建て直しや改革を決意した人は、心のどこかで、「自分がこれまで世話になったところじゃないか。ここで逃げ出すのは卑怯だし、納得できない」という心意気があるかもしれません。
また、見切って去ることを決意した人は、「自分の人生は自分のもの。組織の都合で自分の幸せを犠牲にするなんてバカらしい」と思っているかもしれません。


私は、過去2社を去りました。
私の場合は、どちらかといえば、後者の思いのほうが強かったように思います。
ただ、去るにあたっては、残って頑張る仲間たちの姿を見て忸怩たる思いがありました。

一般的にいえば、建て直しや改革を決意して残るタイプは、武士道精神のようなものを持っていると思われ、古い人に多く、これに対し、自分のヤリガイ重視で見切って去るタイプは、欧米的感覚を持っていると思われ、若い人に多いような気がします。
極論かもしれませんが、前者のタイプは、伝統のある日本企業や公的組織に多く、後者のタイプは、外資系企業や新興企業に多いように思います。

時代の流れとしては、転職も当たり前、つまり人材の流動化が一般的になってきたといわれています。
その背景には、若い人を中心に価値観の多様化、また経済のグローバル化による外資系企業の日本進出などがあるのではないでしょうか。
一方で、最近、「武士道」が欧米で注目されはじめ、それに伴って、日本でも再度注目されるようになってきているようです。

これは一体どういうことなのか。
かつて、日本は、欧米企業を手本としていろんなものを真似し取り入れてきました。
しかし、その欧米企業においても、昨今不祥事が続々と発生し出しました。
この現実を見て、日本人は、日本の仕事人たちは、はたと思ったのではないでしょうか。
どうやら、欧米企業も完璧ではないらしい。
ふと足元を見たら、武士道という潔い生き方が日本には元来あったではないか、と。

武士道と聞いて私が思い浮かべるのは、“忠義”という言葉です。
また、“武士は食わねど高楊枝”という言葉も思い出します。
つまり、仕える主君を裏切らない、痩せても(生活が苦しくても)我慢し生き様を通す、という姿勢です。

たしかに、今の世で武士道なんてそのまま通用するものではないでしょうし、それこそ、価値観は人それぞれです。
全員が組織に忠誠を誓うなんてのは、見せかけの共産主義と同じようなものです。
ただ、我侭な価値観、自己利益のみを優先する生き方が幅を利かし過ぎた場合、人は、伝統的な価値観や古いタイプの生き方に憧れ、すがりたくなるのかもしれません。

礼儀を知らない、仕事のし方をろくに知らない後輩社員を見て嘆くことはありませんか?
古い頭の固い先輩社員に腹が立つことはありませんか?
そういう後輩や先輩を見て、あなたは、「よし!頑張って建て直し、改革をしよう!」と思いますか、それとも、「これでは先行きがない。さっさと次へ移ろう」と思いますか?


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