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2005年03月21日

会社の思いと個人の思い

世の中、人が集まるところ、ホンネとタテマエが交差するのが常です。
人が集まるところの一つ例として、多くの人が働く会社なんかがその典型でしょう。
会社に何を求めるかは、それこそ一人ひとり違うのではないでしょうか。
社長であれば、利益を最大化し株主の期待に応えるのが目標かもしれないし、社員によっては生活費を稼ぐのが目的でより多くの収入を得るのが目標かもしれないし、あるいは社員によっては、将来に備え自分を磨く機会を得るのが会社という場かもしれないし。

会社と個人の両方の視点からみた場合、双方がハッピーになれるのは、それぞれの思いが一致する環境があるときです。
仮に収入増を期待する社員がいた場合、会社が儲かると同時に自分も儲かるのであれば、満足度は高まるでしょう。
もちろん、会社も儲かるわけですから、会社とその社員の関係は「Win-Winの関係」だといえます。
会社が発展する段階にあるときは、会社と社員の関係は、このWin-Winの関係になっているのかもしれません。


ほんの少し前に日本はバブル経済を経験しましたが、当時は、どんなに忙しくても会社の業績は右肩上がりだったので、ボーナスもたくさんもらえてリッチな気分になった人は多いのではないでしょうか。
私自身、当時そんなに多くの収入があったわけではありませんが、それでも給料やボーナスの額が前年より上がると、やっぱり嬉しかったものです。
豪遊とまではいきませんが、夜な夜な同僚たちと飲み歩いていました。

しかし、こういう状況は、繰り返しになりますが、会社と個人の思いが一致しているときだけです。
例えば、会社の業績が振るわず、将来の回復も見込めない場合、社員の中には将来性を不安視する人もいるでしょうし、会社側は会社側で、生き残るために社員に不人気な施策を打ち出すこともあるでしょう。
会社は生き残り続けることを考えますから、仮にリストラで1,000人の社員を100人まで減らすことになっても、それで業績を確保できるのであればその施策を実施します。

減らされる900人の立場になってみれば、恨みの一つも言いたくなるでしょうし、抵抗もしたいでしょうが、いかんせん、会社自体がなくなれば、すべて無になり全社員にとって何も残らないということになってしまうので、会社は事業閉鎖という選択はしません。
もちろん、にっちもさっちもいかなくなったときは、法律を利用した倒産を選択することもあるわけですけど。

私が過去勤めた2社は、業界としては成熟期にありましたが、業績的には好調な時期と逆境の時期があり、幸か不幸か、私は逆境期に会社が実施したリストラ、希望退職の瞬間に立ち会いました。
おそらく、多くの会社が同じだと思うのですが、業績が低迷し、見通しが暗いときというのは、会社自体というか社内の雰囲気も暗くなりがちです。
そうすると、社員は、会社の将来性とともに自分の将来についても考えることが多くなります。

会社には会社の思いがあるので、そういう場所で自分の思いを100%実現できるということはまずありません。
経営者も含めほとんどの社員は、自分の思いの実現を最大化することを意識しながらも、どこかで妥協しつつ仕事をしているんだと思います。
そして、その妥協レベルに対し、ある程度満足しているのか、あるいは不満なのかを見極め、そこから自分の将来を描いているような気がします。

私は、過去の仕事人人生の中で、多くの人がそうであるように、“理想と現実”の間で揺れながら、働く場、職業を選びながら仕事をしてきました。
また、自分の経験から、「会社というところは、こういうところなんだな」という思いも持っています。
で、結局行き着くところは、以前の記事でも書きましたが、「自分自身が会社という舞台をどう利用するか」が大事だということです。
利用しがいがあればとことん利用すればいいし、自分の意識の中で得るものがないと思ったらさっさと他の進路を選択したほうが賢明です。

昨今の風潮でいえば、かつての日本社会とは違い、「会社が生きがい、会社に身を捧げる」という感覚の人は少ないでしょう。
大企業もバタバタ倒産する時代、会社同士の合併も頻発する時代、業績や給料の右肩上がりが期待できない時代にあっては、そういう感覚がもはや旧いものであることは自然の帰結です。
「皆んなで事業を発展させよう!」と呼び掛けていた経営者がさっさと転進したり、上司がどんどん入れ替わったり、頑張っていた同僚がある日転職してしまうということは日常茶飯事に起きているのが現実です。
そんな中にあって、仕事人として持っていたいのは、何といっても「個人の思い」なのではないでしょうか。









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この記事へのコメント

1. Posted by 小西六九   2005年03月21日 23:29
会社と個人の思いの差に悩み、辞表を書いた者です。
仕事が楽しくなればなるほど、その差が許せなくなってしまったのです。
今は起業して、夢ばかり見ています。生活は苦しいですが、こんなのも有りでしょうか?
2. Posted by ヨロン/竹内富雄   2005年03月22日 23:00
小西六九さん、こんにちは。ヨロンです(^_^)。

コメントをいただきありがとうございます。
見る夢があるというのは、素晴らしいことじゃないですか!
「人間はパンのみのために生きるのではない」という言葉は、古の偉い人が言ったそうでありますが、そう考えれば、夢は生きがいを与えてくれるのではないでしょうか。
ぜひ、お互い自分のフィールドで頑張りましょう。
3. Posted by 小西六九   2005年03月23日 22:19
仕事というのは、「自分とは何か」を問う、大切な場だと考えています。仕事を通じて社会参加する事により、自分の役割を発見できるのだと思います。
休日の慰安のために仕事をするのでは、人生がもったいないように思います。生きているからには、己の存在理由を仮定し、それを検証する「仕事」に、全てを賭けてみたいと思うのです。
4. Posted by ヨロン/竹内富雄   2005年03月25日 00:02
小西六九さん、こんにちは。ヨロンです(^_^)。

なかなかいいお言葉ですね。
私もそう言い切れるぐらいになりたいと思いますが、弱気な性格のせいかなかなかそこまで行き着けません。
ライブドア社の堀江社長は、著書の中で、自分がやりたくないことは一切やらない主義だというようなことを書いていましたが、他人からは煙たがられても、そういう生き方のほうが自分自身の納得度は高いかもしれませんね。

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