2007年04月28日
過度なストレスからは逃げようぜ
先日、TV東京の『ワールドビジネスサテライト』という番組を観ていましたら、現代のビジネス社会では働く人たちのストレスがどんどん増えているという話題がとりあげられていました。
特に“成果主義”というものが世の中に流行り出してから、ますますこの傾向が強くなっているのだとか。
成果主義というのは、より厳しく個人の努力・実績が問われるので、個人は自分1人だけでより多くの仕事を抱え込みもがく結果になるそうです。
たしかに、自分自身をみても、「げっ、やらなくちゃならない仕事がこんなにあるんだ!」と思いますしね。
私を取り巻く仕事環境でいえば、小さい会社で社内総務系の担当者兼責任者ということでその業務を1人で請け負っています。
毎日、いろんな仕事が飛び込んできます。
朝出社した時はその日にこなすべき仕事の段取りを考えてはいるのですが、その通りに仕事が進んだことがほとんどありません。
まぁ、こんな状況ですから、ストレスがたまらないわけがありません。
いや、ストレスがたまるのは私だけじゃなく、他の人たちも同様でしょう。
経営トップから末端にいたるまで、ほとんどの人たちが自分なりのストレスを抱えているはずです。
トップはトップで最高権力者ではあっても、「なぜ、社員は私が指示した通り、思った通りに動いてくれないのか」、「どうやってお金を稼ごうか、お金を支払おうか、今月の資金繰りは大丈夫か」など、たくさんの悩みを抱え、実際は他の社員以上のストレスがたまっているように思います。
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特に“成果主義”というものが世の中に流行り出してから、ますますこの傾向が強くなっているのだとか。
成果主義というのは、より厳しく個人の努力・実績が問われるので、個人は自分1人だけでより多くの仕事を抱え込みもがく結果になるそうです。
たしかに、自分自身をみても、「げっ、やらなくちゃならない仕事がこんなにあるんだ!」と思いますしね。
私を取り巻く仕事環境でいえば、小さい会社で社内総務系の担当者兼責任者ということでその業務を1人で請け負っています。
毎日、いろんな仕事が飛び込んできます。
朝出社した時はその日にこなすべき仕事の段取りを考えてはいるのですが、その通りに仕事が進んだことがほとんどありません。
まぁ、こんな状況ですから、ストレスがたまらないわけがありません。
いや、ストレスがたまるのは私だけじゃなく、他の人たちも同様でしょう。
経営トップから末端にいたるまで、ほとんどの人たちが自分なりのストレスを抱えているはずです。
トップはトップで最高権力者ではあっても、「なぜ、社員は私が指示した通り、思った通りに動いてくれないのか」、「どうやってお金を稼ごうか、お金を支払おうか、今月の資金繰りは大丈夫か」など、たくさんの悩みを抱え、実際は他の社員以上のストレスがたまっているように思います。
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2007年04月27日
他人の評価というのは面白い
人が人を評価するというのは本当に難しいことです。
仕事の現場では、“仕事ができる、できない”というのを判断基準にして仕事人としての優劣を決めますが、実はその基準自体が怪しいものであるということは多くの人が感じているのではないでしょうか。
『釣りバカ日誌』という映画がありますがご存知でしょうか。
映画の中では、職場の同僚やプライベートな仲間たちから“浜ちゃん”と呼ばれる主人公が、仕事では三流の仕事人とみなされながらも、なぜか周囲に潤いを与え、会社の社長からはその生き方を羨ましがられる、そんな存在感があります。
こういう人って、会社の人事評価制度上での評価は低いのかもしれませんが、その会社をも包みこんだ社会全体でみた場合はどう評価すべきなんでしょうかね。
そんなことをふと思いました。
「評価のモノサシをいろいろ変えると評価なんてできないよ。仕事人であれば仕事ができる人を高く評価し、できないやつは低い評価になるのは当たり前だ」という考え方には「そうだな」と思う反面、何かを測るモノサシをあれこれ変えてみるのはダメなんだろうかとも思ったりします。
なぜそう思うかといえば、人間というのはある一面だけで評価できるものではなく、多面的に評価できるもの、いや多面で評価しなきゃならないものだと思うからです。
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仕事の現場では、“仕事ができる、できない”というのを判断基準にして仕事人としての優劣を決めますが、実はその基準自体が怪しいものであるということは多くの人が感じているのではないでしょうか。
『釣りバカ日誌』という映画がありますがご存知でしょうか。
映画の中では、職場の同僚やプライベートな仲間たちから“浜ちゃん”と呼ばれる主人公が、仕事では三流の仕事人とみなされながらも、なぜか周囲に潤いを与え、会社の社長からはその生き方を羨ましがられる、そんな存在感があります。
こういう人って、会社の人事評価制度上での評価は低いのかもしれませんが、その会社をも包みこんだ社会全体でみた場合はどう評価すべきなんでしょうかね。
そんなことをふと思いました。
「評価のモノサシをいろいろ変えると評価なんてできないよ。仕事人であれば仕事ができる人を高く評価し、できないやつは低い評価になるのは当たり前だ」という考え方には「そうだな」と思う反面、何かを測るモノサシをあれこれ変えてみるのはダメなんだろうかとも思ったりします。
なぜそう思うかといえば、人間というのはある一面だけで評価できるものではなく、多面的に評価できるもの、いや多面で評価しなきゃならないものだと思うからです。
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2007年04月24日
ハードワークは何のため?
あなたは、ハードワークしてますか?
えっ、私ですか?
んー、そうですね、最近1ヶ月間の入院生活を経験するまではしてましたね。
平日は遅くまで仕事をし、土日も働くことも多かったような。
いや、何も会社に出社してなくても、自宅で仕事をしていることも多いんです。
最近の風潮としては、企業の危機管理の立場から、自宅に仕事の資料等を持ち帰るのを禁止している企業も多いかもしれませんが、規制が緩い企業だと、例えば、自分のPCの中やサーバー上の資料を添付してインターネット経由で自宅のPCへ送り、自宅で仕事の続きをした後、また会社へ送るというやり方もできます。
何もそこまでして仕事をしなくてもいいのではないかと思う人もいるでしょう。
たしかにそうです。
仕事以外の時間はオフタイムとして仕事を離れたことに熱中したほうが健全かもしれませんね。
しかし、仕事を中途半端に終わらせたくない、一つの仕事をやり遂げノウハウやスキルをしっかり身につけたい、仕事で成果を上げて評価されたい、といったようなことを考える人たちにとっては、結果的にハードワークになってしまうのです。
今より若い頃はもっとハードワーカーでしたね。
会社に泊まって応接室のソファーで眠り、洗面所で顔や髪を洗ったりしたこともあります。
終電で帰り、2、3時頃に寝て6時頃起きて会社へ向かう生活を続けたこともあります。
当時は、すっかりそのスタイルに慣れちゃっていましたね。
今の会社でも、若い人たちは遅くまで仕事をし、中には会社に泊まっている人もいます。
さすがに最近は、多少のハードワークはしつつも、やはり自分のプライベートな時間を大切にしたいという思いが強いですね。
仕事だけはあふれるほどあるので、やってもやっても切りがありませんからね。
それよりも、今後の人生についてゆっくり考えたり、趣味に時間を割きたいのです。
あなたのハードワークは何のためですか?
えっ、私ですか?
んー、そうですね、最近1ヶ月間の入院生活を経験するまではしてましたね。
平日は遅くまで仕事をし、土日も働くことも多かったような。
いや、何も会社に出社してなくても、自宅で仕事をしていることも多いんです。
最近の風潮としては、企業の危機管理の立場から、自宅に仕事の資料等を持ち帰るのを禁止している企業も多いかもしれませんが、規制が緩い企業だと、例えば、自分のPCの中やサーバー上の資料を添付してインターネット経由で自宅のPCへ送り、自宅で仕事の続きをした後、また会社へ送るというやり方もできます。
何もそこまでして仕事をしなくてもいいのではないかと思う人もいるでしょう。
たしかにそうです。
仕事以外の時間はオフタイムとして仕事を離れたことに熱中したほうが健全かもしれませんね。
しかし、仕事を中途半端に終わらせたくない、一つの仕事をやり遂げノウハウやスキルをしっかり身につけたい、仕事で成果を上げて評価されたい、といったようなことを考える人たちにとっては、結果的にハードワークになってしまうのです。
今より若い頃はもっとハードワーカーでしたね。
会社に泊まって応接室のソファーで眠り、洗面所で顔や髪を洗ったりしたこともあります。
終電で帰り、2、3時頃に寝て6時頃起きて会社へ向かう生活を続けたこともあります。
当時は、すっかりそのスタイルに慣れちゃっていましたね。
今の会社でも、若い人たちは遅くまで仕事をし、中には会社に泊まっている人もいます。
さすがに最近は、多少のハードワークはしつつも、やはり自分のプライベートな時間を大切にしたいという思いが強いですね。
仕事だけはあふれるほどあるので、やってもやっても切りがありませんからね。
それよりも、今後の人生についてゆっくり考えたり、趣味に時間を割きたいのです。
あなたのハードワークは何のためですか?
2007年04月22日
人生、時々リセットも必要
何年も同じ環境で同じ仕事をしていると、何度か「もうこんな仕事(会社)なんか辞めたい」という思いが込み上げてくることがあるのではないでしょうか。
他の人からみれば「お前は世間知らずでまだ甘いな」と思われることもあるかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことで、最も重要なのは本人の心理状態や考え方なのです。
書店に行くと、仕事が嫌になった時にはどう対処するかといったことについて書かれた先輩方のメッセージが詰まった本をよく見かけます。
事業やその分野で成功を収めた大先輩たちでさえ、人生の中では、挫折も経験し、何度も目の前の仕事を放り投げたくなったことがあるということなのでしょう。
だから、そういう経験談を語ることで、後に続く若い人たちを勇気づけたいということなのかもしれませんね。
ただ、やはり、それなりに成功した人たちというのは、ふつうの人とは違う何かを持っていると思いますし、挫折、失敗、大きな壁を乗り越えるだけのタフな精神力を持っていたのだと思います。
その人たちからいわせると「決してそんなことはありませんよ」と言うかもしれませんがね。
私自身の経験談ですが、私はこれまで3つの会社を辞めています。
そして、それぞれの会社に在籍中に「(その会社を)もう辞めたい!」と思ったことは数え切れないぐらいあります。
そのきっかけは、人間関係や仕事の行き詰まり、みたいなものだったと思います。
要するに自分自身ではなかなかその困難を乗り越えられなかったのです。
で、「もう絶対これ以上続けられない。限界に達した」という思いが強くなった時点で会社を辞めました。
辞める寸前には精神的に追い詰められていた状態になっているわけで、そこで無理をしたらきっと病気になっていたかもしれません。
ある意味“逃げ”かもしれないですが、私は退職という道を選びました。
その後、私はそれぞれの会社のケースで、次の会社が決まるまで数ヶ月のインターバルを置きました。
自分の心を解放し、自由を満喫し、精神状態を健康に戻したかったのです。
会社を退職した翌日から、「あー、もうあの会社に行かなくていいんだ。あの人と付き合う必要もないんだ。あの仕事に追われる必要もないんだ」という思いで気分がだんだん上向いていくのを感じました。
数ヶ月なんてあっという間で、その期間のほうがそれまでの人生の中では最も充実感がありました。
ただ、「いい年して仕事をせずブラブラして情けないね」という世間、周囲の視線との暗黙の戦いはありましたがね。
今振り返って思うことは、目の前の困難を乗り越えられず逃げたというのは、長い人生の中でみれば逆に人生を長続きさせるために必要なことだった、ということですかね。
仕事人人生としてみれば、働いて生活していくことを考えると、それこそ何十年もあるわけだから、時々リセットして「働きたい!」という意欲が沸き上がってくるまで充電してみるのもいいかなと思います。
人生、仕事を続けるかぎり、頑張らなきゃならない場面は何度もやってくるんだから。
他の人からみれば「お前は世間知らずでまだ甘いな」と思われることもあるかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことで、最も重要なのは本人の心理状態や考え方なのです。
書店に行くと、仕事が嫌になった時にはどう対処するかといったことについて書かれた先輩方のメッセージが詰まった本をよく見かけます。
事業やその分野で成功を収めた大先輩たちでさえ、人生の中では、挫折も経験し、何度も目の前の仕事を放り投げたくなったことがあるということなのでしょう。
だから、そういう経験談を語ることで、後に続く若い人たちを勇気づけたいということなのかもしれませんね。
ただ、やはり、それなりに成功した人たちというのは、ふつうの人とは違う何かを持っていると思いますし、挫折、失敗、大きな壁を乗り越えるだけのタフな精神力を持っていたのだと思います。
その人たちからいわせると「決してそんなことはありませんよ」と言うかもしれませんがね。
私自身の経験談ですが、私はこれまで3つの会社を辞めています。
そして、それぞれの会社に在籍中に「(その会社を)もう辞めたい!」と思ったことは数え切れないぐらいあります。
そのきっかけは、人間関係や仕事の行き詰まり、みたいなものだったと思います。
要するに自分自身ではなかなかその困難を乗り越えられなかったのです。
で、「もう絶対これ以上続けられない。限界に達した」という思いが強くなった時点で会社を辞めました。
辞める寸前には精神的に追い詰められていた状態になっているわけで、そこで無理をしたらきっと病気になっていたかもしれません。
ある意味“逃げ”かもしれないですが、私は退職という道を選びました。
その後、私はそれぞれの会社のケースで、次の会社が決まるまで数ヶ月のインターバルを置きました。
自分の心を解放し、自由を満喫し、精神状態を健康に戻したかったのです。
会社を退職した翌日から、「あー、もうあの会社に行かなくていいんだ。あの人と付き合う必要もないんだ。あの仕事に追われる必要もないんだ」という思いで気分がだんだん上向いていくのを感じました。
数ヶ月なんてあっという間で、その期間のほうがそれまでの人生の中では最も充実感がありました。
ただ、「いい年して仕事をせずブラブラして情けないね」という世間、周囲の視線との暗黙の戦いはありましたがね。
今振り返って思うことは、目の前の困難を乗り越えられず逃げたというのは、長い人生の中でみれば逆に人生を長続きさせるために必要なことだった、ということですかね。
仕事人人生としてみれば、働いて生活していくことを考えると、それこそ何十年もあるわけだから、時々リセットして「働きたい!」という意欲が沸き上がってくるまで充電してみるのもいいかなと思います。
人生、仕事を続けるかぎり、頑張らなきゃならない場面は何度もやってくるんだから。
2007年04月21日
悩みは誰かに聞いてもらえ
以前、同僚と二人で食事をする機会がありました。
同僚は食事をしながら、ポツポツと自分が抱えている悩みを話しました。
私はただただ聞くばかり。
「なるほど」、「それは大変だな」、「今頑張ればきっと後は良くなるよ」とか何とか言いながら、また相槌を打ちながら。
私はその人の仕事と直接絡みがないので、その人からすれば私には話しやすかったのかもしれませんね。
心理学の世界では、悩みを誰かに聞いてもらえれば、その悩みの半分は解決できたようなものということもいわれます。
たしかに、自分が抱えている悩みを吐き出す場があり、その悩みを聞いてくれる相手がいれば、なぜだかわからないけどその悩みが次第に晴れていくような気がしますよね。
会社の同僚と話しをするのも悩み解消に役立つでしょうし、また、利害関係のない社外の友人・知人たちと話しをするのもいいでしょう。
とにかく、悩みは一人だけで抱え込まないことです。
本当は、聞く側は相手の悩みを一方的に聞かされるわけですからそれはそれで大変でしょうが、自分の悩みがどうしようもない段階にある時は、そこは相手に「勘弁な」という気持ちを持ちながら、一方的に吐き出すことも大切です、それこそ気分がスッキリするまで。
そして、できることなら、今度は自分の悩みを吐き出すばかりでなく、逆に誰かの悩みを聞くという機会も経験してみることです。
そうすることで人間としてのバランスがとれるというのか、悩みが発生した時の解消法が身についていくのです。
ということは、重要なことは、日頃からお互いに腹を割って悩みを打ち明け合える友人・知人をつくっておくことです。
私自身、今いろんな悩みを抱えていますが、自分が人間として、仕事人としてどれだけ成長できたのか、日々試されているような気がしています。
同僚は食事をしながら、ポツポツと自分が抱えている悩みを話しました。
私はただただ聞くばかり。
「なるほど」、「それは大変だな」、「今頑張ればきっと後は良くなるよ」とか何とか言いながら、また相槌を打ちながら。
私はその人の仕事と直接絡みがないので、その人からすれば私には話しやすかったのかもしれませんね。
心理学の世界では、悩みを誰かに聞いてもらえれば、その悩みの半分は解決できたようなものということもいわれます。
たしかに、自分が抱えている悩みを吐き出す場があり、その悩みを聞いてくれる相手がいれば、なぜだかわからないけどその悩みが次第に晴れていくような気がしますよね。
会社の同僚と話しをするのも悩み解消に役立つでしょうし、また、利害関係のない社外の友人・知人たちと話しをするのもいいでしょう。
とにかく、悩みは一人だけで抱え込まないことです。
本当は、聞く側は相手の悩みを一方的に聞かされるわけですからそれはそれで大変でしょうが、自分の悩みがどうしようもない段階にある時は、そこは相手に「勘弁な」という気持ちを持ちながら、一方的に吐き出すことも大切です、それこそ気分がスッキリするまで。
そして、できることなら、今度は自分の悩みを吐き出すばかりでなく、逆に誰かの悩みを聞くという機会も経験してみることです。
そうすることで人間としてのバランスがとれるというのか、悩みが発生した時の解消法が身についていくのです。
ということは、重要なことは、日頃からお互いに腹を割って悩みを打ち明け合える友人・知人をつくっておくことです。
私自身、今いろんな悩みを抱えていますが、自分が人間として、仕事人としてどれだけ成長できたのか、日々試されているような気がしています。
2007年04月20日
人と人のコミュニケーションはかくも難し
仕事の現場に20年。
一番難しいのが他人との“コミュニケーション”だと感じています。
私は現在4社目の会社で働いていますが、仕事柄、経営者のそばで仕事をする機会が多くありました。
その経験を通して感じたのは、経営者というのは社員同士、上司と部下、部署と部署のコミュニケーションをものすごく重要視しているんですよね。
要するに、自分の考え、会社の方針を伝え、それを実行してもらうにはコミュニケーションがうまくいくかいかないかが最大のポイントだと考えているのです。
これは何も経営者にかぎったことではありません。
一人ひとりの仕事人にとって、いや人間にとってコミュニケーションは仕事をする上で、生きていく上で一番重要なファクターです。
例えば、貴方が他社へ転職した場合のことを想像してみてください。
転職経験者なら実感できると思いますが、新しい職場に溶け込んで、早く仕事に慣れて力を発揮しようと思ったら、とにかく、周囲の同僚たちと、上司と、その他の会社関係者とどんどんコミュニケーションをとっていくしかないのです。
ということは頭の中で理屈としてはわかっていても、なかなか実践できないことも多いんですよね。
それがコミュニケーションの難しいところでもあります。
人はそれぞれ性格や考え方が違うように、他人とのコミュニケーションのとり方もその人独自のやり方があるものです。
例えば、私は仕事中は寡黙になって黙々と仕事をこなし、周囲の人たちとは必要最小限の会話しか交わさない人間ですが、私とはまったく対照的に、とにかく自分からいろんな話題を出して話しかけ、お互いの会話量を増やすことでコミュニケーションを図る人間もいます。
これはどちらがいいとか悪いとかいうものではなく、お互いコミュニケーションのスタイルが違うだけなのです。
一見、よくおしゃべりをしている人同士はコミュニケーションが良く、お互いの人間関係も良いように思いがちですが、実際はそうでもないこともあります。
職場では仲が良いように見えた人と別々に飲みに行ったら、相手の悪口を聞かされたなんてことはよくあります。
また、同期で入社したのに、次第にポスト格差が出てきたためにお互いのコミュニケーションをとりにくくなったということもあるでしょう。
あるいは、自分は部下を持つ器ではないと思っていたのに、会社の評価で部下を持つ上司の立場になってしまい、部下とのコミュニケーションで悩む人もいるでしょう。
ほんと、いつの世も人と人のコミュニケーションというのは難しいものです。
一番難しいのが他人との“コミュニケーション”だと感じています。
私は現在4社目の会社で働いていますが、仕事柄、経営者のそばで仕事をする機会が多くありました。
その経験を通して感じたのは、経営者というのは社員同士、上司と部下、部署と部署のコミュニケーションをものすごく重要視しているんですよね。
要するに、自分の考え、会社の方針を伝え、それを実行してもらうにはコミュニケーションがうまくいくかいかないかが最大のポイントだと考えているのです。
これは何も経営者にかぎったことではありません。
一人ひとりの仕事人にとって、いや人間にとってコミュニケーションは仕事をする上で、生きていく上で一番重要なファクターです。
例えば、貴方が他社へ転職した場合のことを想像してみてください。
転職経験者なら実感できると思いますが、新しい職場に溶け込んで、早く仕事に慣れて力を発揮しようと思ったら、とにかく、周囲の同僚たちと、上司と、その他の会社関係者とどんどんコミュニケーションをとっていくしかないのです。
ということは頭の中で理屈としてはわかっていても、なかなか実践できないことも多いんですよね。
それがコミュニケーションの難しいところでもあります。
人はそれぞれ性格や考え方が違うように、他人とのコミュニケーションのとり方もその人独自のやり方があるものです。
例えば、私は仕事中は寡黙になって黙々と仕事をこなし、周囲の人たちとは必要最小限の会話しか交わさない人間ですが、私とはまったく対照的に、とにかく自分からいろんな話題を出して話しかけ、お互いの会話量を増やすことでコミュニケーションを図る人間もいます。
これはどちらがいいとか悪いとかいうものではなく、お互いコミュニケーションのスタイルが違うだけなのです。
一見、よくおしゃべりをしている人同士はコミュニケーションが良く、お互いの人間関係も良いように思いがちですが、実際はそうでもないこともあります。
職場では仲が良いように見えた人と別々に飲みに行ったら、相手の悪口を聞かされたなんてことはよくあります。
また、同期で入社したのに、次第にポスト格差が出てきたためにお互いのコミュニケーションをとりにくくなったということもあるでしょう。
あるいは、自分は部下を持つ器ではないと思っていたのに、会社の評価で部下を持つ上司の立場になってしまい、部下とのコミュニケーションで悩む人もいるでしょう。
ほんと、いつの世も人と人のコミュニケーションというのは難しいものです。
2007年04月19日
この“芽”は何の芽なんだろう?
私はある時、ある出来事を境にネットの世界の虜になりました。
かつて勤めていた会社の同僚が、私にパソコン通信を教えてくれたのを機に、ネットを介して多くのいろんな人たちと交流ができることに魅せられたわけです。
当時、パソコン通信も各社が競っていましたが、中でも富士通系のNifty-serveとNEC系のPC-VANが会員数が多く覇を争っていました。
パソコン通信が流行る前は、草の根BBSといったものがあちこちにあり、会員同士密やかに交流を楽しんでいたようです。
私はNifty-serveに入会し、いくつかのフォーラム(テーマのあるネットコミュニティ)でいろんな人たちとのやりとりを楽しみました。
中でも一番はまったのがビジネス系のフォーラムで、特に会員が実際に顔を合わせて会話を交わしたり、情報交換したり、議論をするオフ会でした。
さらにネットのすごさを感じたのは、私が入会したあるビジネス系のフォーラムでは、有志がお金を出し合ってマンションの一室を借り、そこを維持しながら、そこをオフ会会場として活用したことです。
私も一時期お金を出す側の会員だったこともあります。
その場は善意の会員によるボランティアで運営され続け、今でもその場は存在します。
私は、このマンションで開催されたオフ会に、多い時には週2、3回は参加していました。
仕事を終えると、よくこのマンション目指して急いだものです。
当初はオフ会は他人主催のものに参加するばかりでしたが、そのうち、自分でも主催してみたくなり、他人のオフ会の運営のし方を見習いながら少しずつ始めるようになりました。
そしたら、今度は、オフ会は参加するより主催するほうが楽しく感じるようになってきたため、宴会、勉強会、旅行、全国オフ、いろんな企画を練りながらどんどん開催しました。
ある時期には、こんな楽しいオフ会なら、全国中に普及させたらもっと面白いのではないかと考え、無謀にも週末に全国主要都市を飛び回ってオフ会を主催しまくったこともありました。
当時私が関わったオフ会の実績はこちらをご参照下さい。
続きを読む
かつて勤めていた会社の同僚が、私にパソコン通信を教えてくれたのを機に、ネットを介して多くのいろんな人たちと交流ができることに魅せられたわけです。
当時、パソコン通信も各社が競っていましたが、中でも富士通系のNifty-serveとNEC系のPC-VANが会員数が多く覇を争っていました。
パソコン通信が流行る前は、草の根BBSといったものがあちこちにあり、会員同士密やかに交流を楽しんでいたようです。
私はNifty-serveに入会し、いくつかのフォーラム(テーマのあるネットコミュニティ)でいろんな人たちとのやりとりを楽しみました。
中でも一番はまったのがビジネス系のフォーラムで、特に会員が実際に顔を合わせて会話を交わしたり、情報交換したり、議論をするオフ会でした。
さらにネットのすごさを感じたのは、私が入会したあるビジネス系のフォーラムでは、有志がお金を出し合ってマンションの一室を借り、そこを維持しながら、そこをオフ会会場として活用したことです。
私も一時期お金を出す側の会員だったこともあります。
その場は善意の会員によるボランティアで運営され続け、今でもその場は存在します。
私は、このマンションで開催されたオフ会に、多い時には週2、3回は参加していました。
仕事を終えると、よくこのマンション目指して急いだものです。
当初はオフ会は他人主催のものに参加するばかりでしたが、そのうち、自分でも主催してみたくなり、他人のオフ会の運営のし方を見習いながら少しずつ始めるようになりました。
そしたら、今度は、オフ会は参加するより主催するほうが楽しく感じるようになってきたため、宴会、勉強会、旅行、全国オフ、いろんな企画を練りながらどんどん開催しました。
ある時期には、こんな楽しいオフ会なら、全国中に普及させたらもっと面白いのではないかと考え、無謀にも週末に全国主要都市を飛び回ってオフ会を主催しまくったこともありました。
当時私が関わったオフ会の実績はこちらをご参照下さい。
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2007年04月17日
ビジネスの着眼点はこんなところに
以前、自宅周辺をぶらぶらと散歩していた時、こんなコンビニを発見しました。
大手の有名なコンビニではありませんが、一歩店内に入ってみると俄然興味を持ちました。
というのも、大手のコンビニだと何度も利用しているので、店内のつくりとか商品とかだいたい想像がつくんですよね。
でも、このコンビニの場合、扱っている商品の種類も大手とは差別化をはかっているし、「へー、こんなものまで扱っているんだ」みたいな驚きもありました。
もう一ついうと、手狭なコンビニに比べ、店内がわりと広く、店内に入ってゆったり見て歩くことができました。
たしかに、大手のコンビニはコンビニで日常生活に必要な商品類は揃えているので、だいたいのことは間に合うのですが、私が日頃から感じていたのは、店内に入った時にもうちょっとサプライズがあってもいいかなということ、あと、必要な物だけを買って短時間内にお店を出ていくのではなく、たまには目新しい商品を見つけてつい買ってしまうようなショッピングの楽しさがあってもいいのかなということでした。
そういう点で、散歩中に偶然見つけたコンビニはコンセプト、実際に陳列された商品が面白かったですね。
この新しい形態のコンビニを見て感じたことは、ビジネスの着眼点って実は単純な発想というのか、既に当たり前になっていることを少しひねってみると、そこらじゅうにゴロゴロ転がっているのではないか、ということでした。
もっとも、着眼点から実際のビジネスへ移行し、長期的に利益を出せるビジネスモデルを構築していくには大変な努力、労力等が必要になるとは思いますけれど。
ただ、ビジネスの着眼点、アイデアを考えるのって楽しいですよね。
大手の有名なコンビニではありませんが、一歩店内に入ってみると俄然興味を持ちました。
というのも、大手のコンビニだと何度も利用しているので、店内のつくりとか商品とかだいたい想像がつくんですよね。
でも、このコンビニの場合、扱っている商品の種類も大手とは差別化をはかっているし、「へー、こんなものまで扱っているんだ」みたいな驚きもありました。
もう一ついうと、手狭なコンビニに比べ、店内がわりと広く、店内に入ってゆったり見て歩くことができました。
たしかに、大手のコンビニはコンビニで日常生活に必要な商品類は揃えているので、だいたいのことは間に合うのですが、私が日頃から感じていたのは、店内に入った時にもうちょっとサプライズがあってもいいかなということ、あと、必要な物だけを買って短時間内にお店を出ていくのではなく、たまには目新しい商品を見つけてつい買ってしまうようなショッピングの楽しさがあってもいいのかなということでした。
そういう点で、散歩中に偶然見つけたコンビニはコンセプト、実際に陳列された商品が面白かったですね。
この新しい形態のコンビニを見て感じたことは、ビジネスの着眼点って実は単純な発想というのか、既に当たり前になっていることを少しひねってみると、そこらじゅうにゴロゴロ転がっているのではないか、ということでした。
もっとも、着眼点から実際のビジネスへ移行し、長期的に利益を出せるビジネスモデルを構築していくには大変な努力、労力等が必要になるとは思いますけれど。
ただ、ビジネスの着眼点、アイデアを考えるのって楽しいですよね。
2007年04月16日
100%、70%、50%、30%、10%、、、これが社員の実態だ
かつて勤務した会社で、会社側が経営改革を方針として掲げ断行したことがありました。
その際、経営トップの直轄で経営改革の推進部署が設置され、私もそのメンバーとして加わりました。
その部署のメンバーは、全社のあちこちの部署から集められ、ある意味外人部隊のような雰囲気がありましたが、私にとってはとても刺激的な場所でした。
ある日、同じ部署の先輩同僚と議論した時、先輩が面白い指摘というか話をしてくれました。
「なぁヨロンくん。我々はこうやって会社の方針に基づき、会社が目指す方向へ向かって業務推進を行おうとしているわけだが、会社の全社員が同じ思考をしているわけじゃないんだよな。会社の仕事に100%かけている人は我々と一緒になって頑張ってくれるかもしれない。でも、70%、50%、30%、10%と、仕事にかける意気込みが落ちてくるにしたがって、我々がいくら“一緒に会社を変えて(良くして)いこう!”と訴えても通じにくくなっていくものなんだ。そういう意味では、表面的には全社員で頑張ろうというのをスローガンにしつつも、実際はヤル気のある人たちをどれだけ燃えさせやってもらうかに改革の成否はかかっているんだ」と。
この言葉はまさに組織の本質をついている、その時私はそう思いました。
ビビッと来た!とでもいうんでしょうか(笑)。
当時からかなり歳月も過ぎ転職も何回かしたのですが、私の目でいろんな組織を見ても先輩が言った言葉通りのような気がしてなりません。
会社側が「頑張って成果を出せば評価する」という成果主義をうたった人事制度を打ち出しても、頑張る人は頑張るものの、頑張らない人はやっぱり頑張らず、終業時間とともに職場を去ってしまいます(笑)。
企業人事の世界では、“20%:60%:20%の法則”ということがよくいわれます。
要するに、組織をひっぱっるリーダー層が全体の20%、ふつうに仕事をしている層が全体の60%、仕事をせず組織にぶら下がっている層が20%。
この法則の面白い点は、仮に下の仕事をしない層の20%を切り捨てても、また新たにその組織の中でその20%の層がつくられていくのだそうです。
いずれにしろ、一旦組織ができてしまうと、いろんな社員がいるため、まとめていく側は大変だということです。
最初は2、3人で始まった世界でも、それが10人になり、50人になり、100人になっていくとまとめていくための仕組みが必要だし、まとめ役の役割分担も必要になっていくわけですが、それでもやっぱり大変は大変です。
何かをつくってそれを大きくしようと考える時、そういった視点を常に持っていなければならないでしょう。
その際、経営トップの直轄で経営改革の推進部署が設置され、私もそのメンバーとして加わりました。
その部署のメンバーは、全社のあちこちの部署から集められ、ある意味外人部隊のような雰囲気がありましたが、私にとってはとても刺激的な場所でした。
ある日、同じ部署の先輩同僚と議論した時、先輩が面白い指摘というか話をしてくれました。
「なぁヨロンくん。我々はこうやって会社の方針に基づき、会社が目指す方向へ向かって業務推進を行おうとしているわけだが、会社の全社員が同じ思考をしているわけじゃないんだよな。会社の仕事に100%かけている人は我々と一緒になって頑張ってくれるかもしれない。でも、70%、50%、30%、10%と、仕事にかける意気込みが落ちてくるにしたがって、我々がいくら“一緒に会社を変えて(良くして)いこう!”と訴えても通じにくくなっていくものなんだ。そういう意味では、表面的には全社員で頑張ろうというのをスローガンにしつつも、実際はヤル気のある人たちをどれだけ燃えさせやってもらうかに改革の成否はかかっているんだ」と。
この言葉はまさに組織の本質をついている、その時私はそう思いました。
ビビッと来た!とでもいうんでしょうか(笑)。
当時からかなり歳月も過ぎ転職も何回かしたのですが、私の目でいろんな組織を見ても先輩が言った言葉通りのような気がしてなりません。
会社側が「頑張って成果を出せば評価する」という成果主義をうたった人事制度を打ち出しても、頑張る人は頑張るものの、頑張らない人はやっぱり頑張らず、終業時間とともに職場を去ってしまいます(笑)。
企業人事の世界では、“20%:60%:20%の法則”ということがよくいわれます。
要するに、組織をひっぱっるリーダー層が全体の20%、ふつうに仕事をしている層が全体の60%、仕事をせず組織にぶら下がっている層が20%。
この法則の面白い点は、仮に下の仕事をしない層の20%を切り捨てても、また新たにその組織の中でその20%の層がつくられていくのだそうです。
いずれにしろ、一旦組織ができてしまうと、いろんな社員がいるため、まとめていく側は大変だということです。
最初は2、3人で始まった世界でも、それが10人になり、50人になり、100人になっていくとまとめていくための仕組みが必要だし、まとめ役の役割分担も必要になっていくわけですが、それでもやっぱり大変は大変です。
何かをつくってそれを大きくしようと考える時、そういった視点を常に持っていなければならないでしょう。
2007年04月15日
何のため?
「あなたは何のためにそれをやってるの?」、「何のためにその仕事をしてるの?」と質問された時、あなたは答えられますか?
私自身いつも感じているのは、この問いへの私の答えはいつも曖昧だということです。
夢のため?
ある目的のため?
たしかに、夢や目的があるなら、そして今やっていることがその延長線上にあるなら、それはさきほどの質問の答えになっています。
しかし、私の場合、夢、目的といってもそれほどしっかりしたものじゃないんです。
流れる川の水で流され続ける木片のようなもので、その都度、それこそ突然の思い付きでつくっているようなものかもしれません。
会社に入社すると、その会社なりのビジョンとか目的とか経営者の経営方針のようなものがあるはずです。
従業員は会社と契約して入社したら、それらに従って仕事をしなければなりません。
会社側が従業員のやりたいことを実現させるために雇うわけではないのです。
本当は、自分の夢や目的が会社側の目指す方向と合っていれば満足度は高いのでしょうが、現実はなかなかそううまくはいかないものです。
そうすると、従業員は生活費を稼ぐためだったり、どこかで割り切って、仕事の面白さみたいなのをどこかで見出して働くしかありません。
その仕事をやっているうちにだんだんその仕事の面白い面を見つけたりとかね。
ただ、面白い面を見つけることができたにしても、自分が本当にやりたいこととはやはり違う、そういうことも多いと思います。
例えば、自分は本当は小説を書いて暮らしていきたいのに、現実はそう簡単ではない。
そうすると、企業の中で文章を書く仕事をしながら書くスキルを磨いたり、プライベートな時間で書いた小説をどこかの出版社へ送ってみたり、懸賞付の小説募集に応募してみたり、そんなことしかできないのが現実です。
そう思うと、実は多くの仕事人が持っている「何のため?」の答えは、かなり現実に妥協した、あるいは本当の自分は隠した、そのようなものではないか、そんな気がするのです。
私自身いつも感じているのは、この問いへの私の答えはいつも曖昧だということです。
夢のため?
ある目的のため?
たしかに、夢や目的があるなら、そして今やっていることがその延長線上にあるなら、それはさきほどの質問の答えになっています。
しかし、私の場合、夢、目的といってもそれほどしっかりしたものじゃないんです。
流れる川の水で流され続ける木片のようなもので、その都度、それこそ突然の思い付きでつくっているようなものかもしれません。
会社に入社すると、その会社なりのビジョンとか目的とか経営者の経営方針のようなものがあるはずです。
従業員は会社と契約して入社したら、それらに従って仕事をしなければなりません。
会社側が従業員のやりたいことを実現させるために雇うわけではないのです。
本当は、自分の夢や目的が会社側の目指す方向と合っていれば満足度は高いのでしょうが、現実はなかなかそううまくはいかないものです。
そうすると、従業員は生活費を稼ぐためだったり、どこかで割り切って、仕事の面白さみたいなのをどこかで見出して働くしかありません。
その仕事をやっているうちにだんだんその仕事の面白い面を見つけたりとかね。
ただ、面白い面を見つけることができたにしても、自分が本当にやりたいこととはやはり違う、そういうことも多いと思います。
例えば、自分は本当は小説を書いて暮らしていきたいのに、現実はそう簡単ではない。
そうすると、企業の中で文章を書く仕事をしながら書くスキルを磨いたり、プライベートな時間で書いた小説をどこかの出版社へ送ってみたり、懸賞付の小説募集に応募してみたり、そんなことしかできないのが現実です。
そう思うと、実は多くの仕事人が持っている「何のため?」の答えは、かなり現実に妥協した、あるいは本当の自分は隠した、そのようなものではないか、そんな気がするのです。
2007年04月14日
謝罪後、どうするの?
今朝の日経新聞付録「NIKKEIプラス1」に、“謝り方、知らないと損”という見出し記事で謝罪のし方についていろいろ書かれていました。
まぁ、人間生まれてから物心がつき、物事の良し悪しを自分で判断できるレベルに達すれば、自ら謝罪すべき場面なんて何度も経験するでしょう。
私自身何度もありました。
この新聞記事のように、自分が相手に謝らなければならない時に、いかに上手に謝るかはとても大事なことです。
そして、その謝り方のコツというのを会得するのもそれはそれで大事なことです。
それに加え、私自身、最近つくづく実感したのですが、“謝った後、じゃどうするの?”ということもまたとても重要だということです。
例えば、あるお店で来店したお客さんがそのお店の商品を買ったとします。
で、担当した店員さんにその商品を自宅まで送ってくれるよう依頼したとします。
そして実際に商品がお客さんの自宅へ配送されてきました。
ところが、梱包された箱の中をのぞいてビックリ。
なんと商品に汚れや傷がついていたのです。
お客さんはかんかんに怒り、そのお店へクレームの電話を入れました。
もしあなたがそのお客さんの担当で電話に出たとしたら、あなたはどう対応しますか?
もちろん、教育がしっかりしいるお店ならそういう場合の対応法なども徹底されているのかもしれませんが。
まずはたぶん謝罪するでしょう。
それで状況などを確認してから電話を一旦切り、善後策を考えたり、上司と相談したり、そんな行動をとるかもしれません、私なら。
「私が送った時はちゃんとしてましたから、それは運送会社の責任ですのでそちらへ苦情を言って下さい」などとは言わないでしょう(笑)。
電話を切った後の原因調査の過程では、運送会社のほうへも確認はとるでしょうけどね。
続きを読む
まぁ、人間生まれてから物心がつき、物事の良し悪しを自分で判断できるレベルに達すれば、自ら謝罪すべき場面なんて何度も経験するでしょう。
私自身何度もありました。
この新聞記事のように、自分が相手に謝らなければならない時に、いかに上手に謝るかはとても大事なことです。
そして、その謝り方のコツというのを会得するのもそれはそれで大事なことです。
それに加え、私自身、最近つくづく実感したのですが、“謝った後、じゃどうするの?”ということもまたとても重要だということです。
例えば、あるお店で来店したお客さんがそのお店の商品を買ったとします。
で、担当した店員さんにその商品を自宅まで送ってくれるよう依頼したとします。
そして実際に商品がお客さんの自宅へ配送されてきました。
ところが、梱包された箱の中をのぞいてビックリ。
なんと商品に汚れや傷がついていたのです。
お客さんはかんかんに怒り、そのお店へクレームの電話を入れました。
もしあなたがそのお客さんの担当で電話に出たとしたら、あなたはどう対応しますか?
もちろん、教育がしっかりしいるお店ならそういう場合の対応法なども徹底されているのかもしれませんが。
まずはたぶん謝罪するでしょう。
それで状況などを確認してから電話を一旦切り、善後策を考えたり、上司と相談したり、そんな行動をとるかもしれません、私なら。
「私が送った時はちゃんとしてましたから、それは運送会社の責任ですのでそちらへ苦情を言って下さい」などとは言わないでしょう(笑)。
電話を切った後の原因調査の過程では、運送会社のほうへも確認はとるでしょうけどね。
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2007年04月13日
立場逆転、今思うこと
まだ若かった頃、そうですね、20代、30代前半ぐらいの頃でしょうか。
私は自分より年輩で、自分に比べ仕事をしていなさそうな人が嫌いでした。
「何だよ、こっちは終電まで働いたり、徹夜までして仕事をしているというのに、給料は高いのにさっさと帰りやがって!」と頭の中では怒り心頭に達したりしたものです。
特に20代の頃なんかは自分が一番下っ端ですから強くそう思いました。
またその当時よく思ったのは、「こういう働かないで高い給料ばかりとるオッサンたちが多いから会社が成長できないんだ。経営トップは早くオッサンたちを首にし、我々若者のパワーをもっと活用すべきだ」ということでした。
実際のところ、私がそう思わなくても、時代はそういう方向へ流れているようで、中高年者は常にリストラの対象になっています。
その中高年者たちも昔は若者であり、その人たちが若かった時は私と同じような思いを持っていたかもしれません。
そして今、私も40代になり立派なオジサン族の仲間です。
ということは、私より下の世代から疎まれている存在でもあるのでしょう。
つまりは、一言でいうと、仕事人人生において立場が逆転したということですね。
逆転して今思うのは、、、当時働かないオジサンと思い込んでいたのは、実は「若者のように働きたくてももう同じようには働けない」のが本当のところだったのではないかということです。
同じ時間働いても、若者は疲れないかもしれないが年をとればとるほど疲れるのです。
私自身、体力、気力ともに落ちていっているような気がしますね。
ただね、下の世代から何を言われようと、私は私が持っているものの中から何かを下の世代に伝えていきたいと思います、ある時代を生きた証として。
2007年04月12日
自分ではなかなか断てない自身の“甘え”
何度か転職をし、いくつか職場を移り、何人もの上司に仕えてみて気づいたことがあります。
それは、会社、職場、上司によって自分自身の“甘え”を断てる場合もあるし、逆の場合もあるということです。
人間、ついつい自分に対して甘くなりがちです。
そういう意味では、環境、他人によって自分の甘えを断つように強いるやり方というのは苦しい、辛いプロセスもありますが、いい方法の一つかなと思っています。
学校時代にこんな経験をしたことはありませんか?
自宅で独学で受験勉強をしようと思い、一日の勉強のスケジュールを立ててみたものの、ほとんど実現できなかったとか。
逆に、学校や予備校で先生が見張っている中でスケジュール通りに進めたら、勉強はスケジュール通りに進められたとか。
私自身、社会人になって以来、甘えた仕事のやり方をしてきたこともありますし、その逆もあります。
例えば、仕事があって、その成果を受け取るお客さんがいるのに、相手の希望納期をあまり厳密にとらえずに自分勝手に仕事を終わらせて飲みに行ったこともあります。
本当に他人事のものの言い方で自分の弱さを露呈してしまいますが、そういうことをやっていた時は、どちらかといえば、職場もそんな状況を許してしまうような雰囲気があり、上司や同僚も同じようなことをしていました。
一方、逆の時は、お客さんの納期は絶対厳守、上司のチェックは厳しく、やるべき仕事をきちんと終わらせないと帰れないような雰囲気がありました。
そういったことを考えると、自分の甘えを断ち、仕事や自分自身に対し厳しい人間になりたいと考えている人は、自らそういった環境に飛び込んだり、そういう上司に仕えてみることをおススメします。
私自身、仕事人としても人間としてもまだまだ弱い部分や甘えがあると考え、会社や職場を転々としてきました。
現時点では今の会社に行き着きましたが、小さな会社で全員が一人親方のような仕事のやり方をしており、一人で何でもやり遂げてやろうぐらいの意気込みがないとやっていけません。
以前に比べると、より自分に対して厳しくなったのかなと思う今日この頃です。
それは、会社、職場、上司によって自分自身の“甘え”を断てる場合もあるし、逆の場合もあるということです。
人間、ついつい自分に対して甘くなりがちです。
そういう意味では、環境、他人によって自分の甘えを断つように強いるやり方というのは苦しい、辛いプロセスもありますが、いい方法の一つかなと思っています。
学校時代にこんな経験をしたことはありませんか?
自宅で独学で受験勉強をしようと思い、一日の勉強のスケジュールを立ててみたものの、ほとんど実現できなかったとか。
逆に、学校や予備校で先生が見張っている中でスケジュール通りに進めたら、勉強はスケジュール通りに進められたとか。
私自身、社会人になって以来、甘えた仕事のやり方をしてきたこともありますし、その逆もあります。
例えば、仕事があって、その成果を受け取るお客さんがいるのに、相手の希望納期をあまり厳密にとらえずに自分勝手に仕事を終わらせて飲みに行ったこともあります。
本当に他人事のものの言い方で自分の弱さを露呈してしまいますが、そういうことをやっていた時は、どちらかといえば、職場もそんな状況を許してしまうような雰囲気があり、上司や同僚も同じようなことをしていました。
一方、逆の時は、お客さんの納期は絶対厳守、上司のチェックは厳しく、やるべき仕事をきちんと終わらせないと帰れないような雰囲気がありました。
そういったことを考えると、自分の甘えを断ち、仕事や自分自身に対し厳しい人間になりたいと考えている人は、自らそういった環境に飛び込んだり、そういう上司に仕えてみることをおススメします。
私自身、仕事人としても人間としてもまだまだ弱い部分や甘えがあると考え、会社や職場を転々としてきました。
現時点では今の会社に行き着きましたが、小さな会社で全員が一人親方のような仕事のやり方をしており、一人で何でもやり遂げてやろうぐらいの意気込みがないとやっていけません。
以前に比べると、より自分に対して厳しくなったのかなと思う今日この頃です。
2007年04月11日
対立した時、どう解決するか?
人の集まるところ、何かとトラブルが起きたりするものです。
その中で一番やっかいなのが、人と人の対立です。
自分と他人が対立する時もあるし、他人同士が対立する時もあります。
また、その対立も修復が難しいような深刻な対立もあるし、お互いのちょっとした譲り合いで解決できるような対立もあります。
こういう対立の場面は、利害関係の絡む仕事の現場ではよく見られるし、また私生活でも集団で何かやるような時には時々見られます。
私自身の経験上思うことは、こういった対立の場面をどれだけ経験し、どうやって乗り切ってきたか、うまく解決できたこともあるかもしれないし、結局対立が解けずどうにもならなかったこともあるかもしれないけど、それによって鍛えられているのかなと思います。
お互い好き合って結婚した夫婦でも、時が経てば、いろんなことがきっかけで対立することも多いでしょう。
その場面をどうやって乗り越えるかはまさにお互いの知恵の発揮のしどころです。
仲の良かった友人同士でも、考え方の違いやちょっとしたことで対立することもあるものです。
一緒に夢を共有して起業しある程度まで事業を拡大できたのに、途中で対立して創業仲間がバラバラになってしまったという話もよく聞きますね。
利害関係の絡みが多い事業の場合は多少違う面もあるかもしれませんが、それでも対立をうまく解決できればさらに事業は発展できる可能性もあるわけです。
リアルの世界だけでなく、ネットの世界ではさらに多くの対立を見ることができます。
お互い匿名で、顔が見えない、素性がわからないことをいいことに言い争い、収拾がつかないようなバトルというんでしょうか、そんな掲示板もありますね。
私も以前自分が管理していた掲示板でいろいろなバトルが起きその収拾に苦労したものです。
いずれにせよ、誰とでも仲良く、争いごとを避けて暮らしたいという人も多いとは思いますが、対立が頻繁に起こる現実の世界では、その解決策を身につけることもこれまた重要なことなのではないかと思う次第です。
その中で一番やっかいなのが、人と人の対立です。
自分と他人が対立する時もあるし、他人同士が対立する時もあります。
また、その対立も修復が難しいような深刻な対立もあるし、お互いのちょっとした譲り合いで解決できるような対立もあります。
こういう対立の場面は、利害関係の絡む仕事の現場ではよく見られるし、また私生活でも集団で何かやるような時には時々見られます。
私自身の経験上思うことは、こういった対立の場面をどれだけ経験し、どうやって乗り切ってきたか、うまく解決できたこともあるかもしれないし、結局対立が解けずどうにもならなかったこともあるかもしれないけど、それによって鍛えられているのかなと思います。
お互い好き合って結婚した夫婦でも、時が経てば、いろんなことがきっかけで対立することも多いでしょう。
その場面をどうやって乗り越えるかはまさにお互いの知恵の発揮のしどころです。
仲の良かった友人同士でも、考え方の違いやちょっとしたことで対立することもあるものです。
一緒に夢を共有して起業しある程度まで事業を拡大できたのに、途中で対立して創業仲間がバラバラになってしまったという話もよく聞きますね。
利害関係の絡みが多い事業の場合は多少違う面もあるかもしれませんが、それでも対立をうまく解決できればさらに事業は発展できる可能性もあるわけです。
リアルの世界だけでなく、ネットの世界ではさらに多くの対立を見ることができます。
お互い匿名で、顔が見えない、素性がわからないことをいいことに言い争い、収拾がつかないようなバトルというんでしょうか、そんな掲示板もありますね。
私も以前自分が管理していた掲示板でいろいろなバトルが起きその収拾に苦労したものです。
いずれにせよ、誰とでも仲良く、争いごとを避けて暮らしたいという人も多いとは思いますが、対立が頻繁に起こる現実の世界では、その解決策を身につけることもこれまた重要なことなのではないかと思う次第です。
2007年04月10日
行動を起こす者に軍配
40代を過ぎてからどんどん腰が重くなっていくのを感じています。
頭の中では「これじゃいかん!」と思ってはいるものの。
20代、30代、その他世代の行動派の行動力を本当は羨ましく思っているのに、口からそういう人たちに対して出てくる言葉は、「あんまり軽率に行動しないほうが賢明だぞ。成功するには、もっと戦略的に考え、戦術をしっかり練ってから行動したほうがいいぞ」などといった本音とは違う言葉だったりします。
ぶっちゃけ、本音でいえばね、私は、どんなことでも思ったことを行動に移せる人はすごいと思っているんですよ。
「こんな会社辞めてやる!」と言って本当に辞める人はすごいなと思います。
「こんな会社でも頑張って成長させてやる!」と言って残り頑張る人はすごいと思います。
逆に、自分が行動しないことの言い訳を環境のせいにしたり、他人のせいにするのはあまり好きではないですね。
組織で働く仕事人が気をつけなければならないのは、企画だの研究だの開発だの、ある意味アイデアを生み出すような部署に所属し仕事をしていると、現場から離れてしまったり、頭でっかちになって行動力が落ちてしまいかねないことです。
極端な話、世の中の動向を知ろうと、書籍やらデータやらばっかり眺めて暮らしていると、行動範囲が狭まってしまい、ここぞという時に持ち前の企画が生きないこともあるものです。
商品を売る店舗で顧客満足度(CS)を高めようと思ったら、自ら率先して店内に落ちている塵を目ざとく見つけて拾うぐらいの感覚が必要でしょう。
明るい社風をつくって会社を成長させたいなら、自ら毎朝、帰る時に周囲に元気な挨拶をしなければ意味がありません。
何でこの会社は暗いのだろう、その原因をヒアリングやアンケートで分析してみようなどと思ってしまったら、それはもう本質からそうとうズレていることになりますね。
それにしても、行動を起こすってエネルギーがいりますね。
なぜか、自分の思いの実現を他人の行動に期待してしまいます。
頭の中では「これじゃいかん!」と思ってはいるものの。
20代、30代、その他世代の行動派の行動力を本当は羨ましく思っているのに、口からそういう人たちに対して出てくる言葉は、「あんまり軽率に行動しないほうが賢明だぞ。成功するには、もっと戦略的に考え、戦術をしっかり練ってから行動したほうがいいぞ」などといった本音とは違う言葉だったりします。
ぶっちゃけ、本音でいえばね、私は、どんなことでも思ったことを行動に移せる人はすごいと思っているんですよ。
「こんな会社辞めてやる!」と言って本当に辞める人はすごいなと思います。
「こんな会社でも頑張って成長させてやる!」と言って残り頑張る人はすごいと思います。
逆に、自分が行動しないことの言い訳を環境のせいにしたり、他人のせいにするのはあまり好きではないですね。
組織で働く仕事人が気をつけなければならないのは、企画だの研究だの開発だの、ある意味アイデアを生み出すような部署に所属し仕事をしていると、現場から離れてしまったり、頭でっかちになって行動力が落ちてしまいかねないことです。
極端な話、世の中の動向を知ろうと、書籍やらデータやらばっかり眺めて暮らしていると、行動範囲が狭まってしまい、ここぞという時に持ち前の企画が生きないこともあるものです。
商品を売る店舗で顧客満足度(CS)を高めようと思ったら、自ら率先して店内に落ちている塵を目ざとく見つけて拾うぐらいの感覚が必要でしょう。
明るい社風をつくって会社を成長させたいなら、自ら毎朝、帰る時に周囲に元気な挨拶をしなければ意味がありません。
何でこの会社は暗いのだろう、その原因をヒアリングやアンケートで分析してみようなどと思ってしまったら、それはもう本質からそうとうズレていることになりますね。
それにしても、行動を起こすってエネルギーがいりますね。
なぜか、自分の思いの実現を他人の行動に期待してしまいます。
2007年04月09日
あるよね、向きと不向き
私は、誰にでも“向き”と“不向き”ってのがあると思うんだな。
集団をまとめて率いるリーダーはその役割に向いているし、宴会の幹事をやって宴会を盛り上げるのに向いている人はやっぱりその役割に向いているんでしょうね。
それぞれの仕事だってそう思うんですね。
営業に向いている人、研究に没頭し何かを生み出すのに向いている人、経理に向いている人、経営者に向いている人、企画を考えるのがうまい人、なんだかんだいって、案外組織内の人たちは自分が向いているところへ収まっているのではないでしょうかね。
収まっていなければ、その場から逃げ出しているかもしれないし、とっとと違う分野に活躍の場を移しているかもしれないし。
ただし、会社側が(あるいは上司かもしれませんが)、本人の向き、不向きを見極めてその人に合った仕事をうまく与えることができないとミスマッチが起きてしまいます。
会社にとっては、この点が一番難しいんですよね。
いろんな人事制度をつくってみたり、社員活性化のためのいろんな施策を何度も打ち出したりするのは、そういったミスマッチをなくすためなのです。
かつて勤めた会社でお世話になった(当時)定年間近の大先輩社員の言葉が今でも忘れられません。
「なぁ、ヨロンくん。誰でもいい面、特技を必ず一つや二つは持っているもんだ。でも会社というところは、ある目的達成のために結成された人々の集団だから、個人のいい面や特技が活かされないことも多いんだよな、残念なことだが」
たしかにそうなんでしょう。
人によっては、趣味で絵を描くのが上手な人もいるでしょうし、楽器を奏でるのが上手な人もいるでしょう、スポーツが得意な人もいるでしょう。
ところが、彼(彼女)らの才能・能力を見出して、仕事でうまく活かすということはなかなかしませんよね。
これが現実なのです。
ただ、その昔、そういった個人の才がうまく活かされた事例もありました。
ある法務関係者が法務的な通達事項を社内に普及させようとしたのですが、法律というのは堅苦しいというイメージがあるため多くの人は敬遠しがちでした。
そこでその人が考え出したのが、通達文書の随所に漫画を入れて何とか素人にも興味を持ってもらおうということ。
当時職場に学生時代に漫画を描いていたという人がいて、急にその人の趣味兼才能が発揮されることになったわけです。
これは一つの例ですが、こんな感じでその人の向いていることが仕事上でも反映されるといいですよね。
集団をまとめて率いるリーダーはその役割に向いているし、宴会の幹事をやって宴会を盛り上げるのに向いている人はやっぱりその役割に向いているんでしょうね。
それぞれの仕事だってそう思うんですね。
営業に向いている人、研究に没頭し何かを生み出すのに向いている人、経理に向いている人、経営者に向いている人、企画を考えるのがうまい人、なんだかんだいって、案外組織内の人たちは自分が向いているところへ収まっているのではないでしょうかね。
収まっていなければ、その場から逃げ出しているかもしれないし、とっとと違う分野に活躍の場を移しているかもしれないし。
ただし、会社側が(あるいは上司かもしれませんが)、本人の向き、不向きを見極めてその人に合った仕事をうまく与えることができないとミスマッチが起きてしまいます。
会社にとっては、この点が一番難しいんですよね。
いろんな人事制度をつくってみたり、社員活性化のためのいろんな施策を何度も打ち出したりするのは、そういったミスマッチをなくすためなのです。
かつて勤めた会社でお世話になった(当時)定年間近の大先輩社員の言葉が今でも忘れられません。
「なぁ、ヨロンくん。誰でもいい面、特技を必ず一つや二つは持っているもんだ。でも会社というところは、ある目的達成のために結成された人々の集団だから、個人のいい面や特技が活かされないことも多いんだよな、残念なことだが」
たしかにそうなんでしょう。
人によっては、趣味で絵を描くのが上手な人もいるでしょうし、楽器を奏でるのが上手な人もいるでしょう、スポーツが得意な人もいるでしょう。
ところが、彼(彼女)らの才能・能力を見出して、仕事でうまく活かすということはなかなかしませんよね。
これが現実なのです。
ただ、その昔、そういった個人の才がうまく活かされた事例もありました。
ある法務関係者が法務的な通達事項を社内に普及させようとしたのですが、法律というのは堅苦しいというイメージがあるため多くの人は敬遠しがちでした。
そこでその人が考え出したのが、通達文書の随所に漫画を入れて何とか素人にも興味を持ってもらおうということ。
当時職場に学生時代に漫画を描いていたという人がいて、急にその人の趣味兼才能が発揮されることになったわけです。
これは一つの例ですが、こんな感じでその人の向いていることが仕事上でも反映されるといいですよね。
2007年04月08日
組織は社員の言動・能力を常に監視している
会社、組織から常に監視されている、、、といわれると誰しもいい気はしないでしょう。
ある意味気味が悪いかもしれませんね。
しかし、こういう考え方をしたら、たしかに監視されてるなと思いませんか?
一旦会社へ出社するとその瞬間から同僚や会社関係者と会話を交わしたり、仕事上のやりとりをしたりすると思います。
人によってはPCを立ち上げて黙々と仕事をし始める人もいるかもしれませんが、その姿は周囲の人たちから見られています。
要するに、組織内の人たちはお互いに相手の言動あるいは仕事の遂行では能力を確認しているのです。
それによって、“この人はこういう人だ”という印象が頭の中でつくられていきます。
これって、結局、社員監視のための部署や機構を会社側が設置しているわけでもないのに、社員同士が監視し合うという構造になっているわけです。
よくいわれることですが、給湯室での女性同士の会話で社内のいろんな話題が飛び交い共有されたり、表向きとは違う男性社員の能力評価がなされたり、男性陣にとっては恐い場でもあったりします。
また、飲み屋での談議においても、それぞれが知り得た情報を交換し合ったり、その場にいない人物の評価が肴になったりします。
おそらく、「ヨロンってのは全然能力のないやつだなぁ。あいつにあんな仕事なんかさせていいのか」なんてな評価ぐらい出てることもあるでしょう。
例えどこかでそんな話を小耳に挟んでも、極力平気な振りはしてますけどね(笑)。
職場で常に自分の言動・能力が監視されていると思いながら仕事をすると気も滅入るし疲労も増すでしょうから、やはり、仕事というものに対する自分なりの信念を持ち、自分が仕事を通して何を得て、そして自分の人生をどう豊かにしていくかというこを考えながら仕事をするほうが自分自身の人間としての成長につながっていくのではないでしょうか。
ある意味気味が悪いかもしれませんね。
しかし、こういう考え方をしたら、たしかに監視されてるなと思いませんか?
一旦会社へ出社するとその瞬間から同僚や会社関係者と会話を交わしたり、仕事上のやりとりをしたりすると思います。
人によってはPCを立ち上げて黙々と仕事をし始める人もいるかもしれませんが、その姿は周囲の人たちから見られています。
要するに、組織内の人たちはお互いに相手の言動あるいは仕事の遂行では能力を確認しているのです。
それによって、“この人はこういう人だ”という印象が頭の中でつくられていきます。
これって、結局、社員監視のための部署や機構を会社側が設置しているわけでもないのに、社員同士が監視し合うという構造になっているわけです。
よくいわれることですが、給湯室での女性同士の会話で社内のいろんな話題が飛び交い共有されたり、表向きとは違う男性社員の能力評価がなされたり、男性陣にとっては恐い場でもあったりします。
また、飲み屋での談議においても、それぞれが知り得た情報を交換し合ったり、その場にいない人物の評価が肴になったりします。
おそらく、「ヨロンってのは全然能力のないやつだなぁ。あいつにあんな仕事なんかさせていいのか」なんてな評価ぐらい出てることもあるでしょう。
例えどこかでそんな話を小耳に挟んでも、極力平気な振りはしてますけどね(笑)。
職場で常に自分の言動・能力が監視されていると思いながら仕事をすると気も滅入るし疲労も増すでしょうから、やはり、仕事というものに対する自分なりの信念を持ち、自分が仕事を通して何を得て、そして自分の人生をどう豊かにしていくかというこを考えながら仕事をするほうが自分自身の人間としての成長につながっていくのではないでしょうか。
2007年04月07日
上司はつらいよ
『男はつらいよ』といえば、おなじみ寅さんの世界ですが、今なお多くの日本人に愛されている映画です。
定職に就かず放浪生活を続ける寅さんは実家ではやっかい者扱い、で、偶然出会った素敵な女性への淡い恋はいつも実らず、そんなことの繰り返しなのに、それでも放浪の人生を続ける、、、観る人によっていろんな受け止め方があると思いますが、私なんかは、「あー、私もあんなふうにふっと放浪の旅に出てみたいなぁ、気ままに足の向くまま気の向くまま」なーんて思いながら観ております。
半分、目の前の現実から逃避したいなという気持ちもあるからかもしれませんね(笑)。
さて、仕事のことに話題を移します。
いつだったか、新聞だか雑誌を読んでいたら、最近の若い人、あるいは中堅社員の中には管理職(マネージャー)になりたがらない人が多いということが書かれていました。
おそらく、彼(彼女)らは自分の上司や自社の管理職の姿を見てそう感じるのでしょう。
つまり、会社側と部下に挟まれ、昔からよく言われる“サンドウィッチ”状態になり、なおかつ、日本経済が右肩上がりだった時代とは違って、今の管理職は忙しくはあっても得るものは少ない、という現実があるからかもしれません。
それが管理職の実態なら、あまり責任を負わず、仕事はほどほどにして、プライベートにも時間を割いて好きなことをしたい、そんな人生を送りたいと考える人が増えるのは無理もないことでしょう。
責任も重く、苦労も多い管理職は管理職で、休日には家族団欒を楽しみ、子供のいる人は子供の成長を楽しみつつ子供の将来に期待をかけ、あるいは自分の趣味に没頭する、そんな人たちが増えているような気もします。
続きを読む
定職に就かず放浪生活を続ける寅さんは実家ではやっかい者扱い、で、偶然出会った素敵な女性への淡い恋はいつも実らず、そんなことの繰り返しなのに、それでも放浪の人生を続ける、、、観る人によっていろんな受け止め方があると思いますが、私なんかは、「あー、私もあんなふうにふっと放浪の旅に出てみたいなぁ、気ままに足の向くまま気の向くまま」なーんて思いながら観ております。
半分、目の前の現実から逃避したいなという気持ちもあるからかもしれませんね(笑)。
さて、仕事のことに話題を移します。
いつだったか、新聞だか雑誌を読んでいたら、最近の若い人、あるいは中堅社員の中には管理職(マネージャー)になりたがらない人が多いということが書かれていました。
おそらく、彼(彼女)らは自分の上司や自社の管理職の姿を見てそう感じるのでしょう。
つまり、会社側と部下に挟まれ、昔からよく言われる“サンドウィッチ”状態になり、なおかつ、日本経済が右肩上がりだった時代とは違って、今の管理職は忙しくはあっても得るものは少ない、という現実があるからかもしれません。
それが管理職の実態なら、あまり責任を負わず、仕事はほどほどにして、プライベートにも時間を割いて好きなことをしたい、そんな人生を送りたいと考える人が増えるのは無理もないことでしょう。
責任も重く、苦労も多い管理職は管理職で、休日には家族団欒を楽しみ、子供のいる人は子供の成長を楽しみつつ子供の将来に期待をかけ、あるいは自分の趣味に没頭する、そんな人たちが増えているような気もします。
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2007年04月06日
人生は、兎角に打たれ強く生きよう
夏目漱石といえば明治の文豪。
多くの名作品を世に残しているので、何かしら読んだ方も多いのではないでしょうか。
彼の作品の一つに『草枕』というのがありますが、この小説の冒頭にこんな有名な一節があります。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
まぁ、強引に一言で言ってしまえば、どんな生き方を貫こうとしても、世の中というものは自分の生き方をそのまますんなり受け入れてくれるわけではなく、個人からみれば住みにくいのがふつうだ、といったところでしょうか。
ところで、最近お亡くなりになった小説家・城山三郎氏の作品で『打たれ強く生きる』というエッセーがありますが、私はこのエッセーが好きです。
本の内容はもう覚えていませんが、“打たれ強く生きる”というタイトルというか言葉だけは強烈に脳裏に残っています。
なぜって?
それはね、今日まで生きてきて、この言葉の大切さをますます強く感じるようになったからです。
続きを読む
多くの名作品を世に残しているので、何かしら読んだ方も多いのではないでしょうか。
彼の作品の一つに『草枕』というのがありますが、この小説の冒頭にこんな有名な一節があります。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
まぁ、強引に一言で言ってしまえば、どんな生き方を貫こうとしても、世の中というものは自分の生き方をそのまますんなり受け入れてくれるわけではなく、個人からみれば住みにくいのがふつうだ、といったところでしょうか。
ところで、最近お亡くなりになった小説家・城山三郎氏の作品で『打たれ強く生きる』というエッセーがありますが、私はこのエッセーが好きです。
本の内容はもう覚えていませんが、“打たれ強く生きる”というタイトルというか言葉だけは強烈に脳裏に残っています。
なぜって?
それはね、今日まで生きてきて、この言葉の大切さをますます強く感じるようになったからです。
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2007年04月04日
お互い学び合ってでっかい人間になろう!
4月といえば、入学式、入社式、新年度など伝統的イベントが目白押しですが、学生から新社会人として一歩踏み出す新入社員の皆さんは、きっと期待と不安が入り混じっていることでしょう。
私の会社には新入社員の入社はありませんが、まずは、他社に入社されたすべての新入社員の皆さんへ、「おめでとうございます!諸先輩方やお客さんから多くのことを学んで早く一人前の社会人になってくださいね」という言葉を贈りたいと思います。
私の新入社員時代は、失敗ばかりで叱られてばっかりでした(笑)。
こんな私なんかよりずっとずっと優秀な皆さんは、私よりずっと早く成長し一人前の社会人になれると信じております。
ところで、写真の木は東京の明治神宮の境内で撮ったものですが、太いしっかりした幹とともに枝もしっかりとあちこちに伸びていますね。
きっと根もしっかりと地中で四方八方に伸び、多くの栄養を吸収しているに違いありません。
だからこそ、幹も枝もしっかりと成長できたのでしょう。
これを仕事人に置き換えてみると、新入社員時代から失敗を重ねつつも、いろんなことに首を突っ込み(興味を持ち)、いろんな人から情報を得、いろんな経験から知識や知恵を得ることができればどんどん成長していくと思うのです。
若い時に、自分の世界に引きこもり、失敗を恐れて何もせず、周囲とのコミュニケーションを避ける癖をつけてしまうと、その癖はなかなか直らず、その後の仕事人人生は苦しく、辛いものになってしまいます。
特に組織で働く時は痛切にそのことを感じます。
何せ私自身がそんな感じでしたから。
そんな私自身の反省もあって、フレッシュな新入社員の皆さんには、これからすべてがスタートするのだから、ぜひ「お互い学び合ってでっかい人間になろう!」と呼びかけたいと思います。
私の会社には新入社員の入社はありませんが、まずは、他社に入社されたすべての新入社員の皆さんへ、「おめでとうございます!諸先輩方やお客さんから多くのことを学んで早く一人前の社会人になってくださいね」という言葉を贈りたいと思います。
私の新入社員時代は、失敗ばかりで叱られてばっかりでした(笑)。
こんな私なんかよりずっとずっと優秀な皆さんは、私よりずっと早く成長し一人前の社会人になれると信じております。
ところで、写真の木は東京の明治神宮の境内で撮ったものですが、太いしっかりした幹とともに枝もしっかりとあちこちに伸びていますね。
きっと根もしっかりと地中で四方八方に伸び、多くの栄養を吸収しているに違いありません。
だからこそ、幹も枝もしっかりと成長できたのでしょう。
これを仕事人に置き換えてみると、新入社員時代から失敗を重ねつつも、いろんなことに首を突っ込み(興味を持ち)、いろんな人から情報を得、いろんな経験から知識や知恵を得ることができればどんどん成長していくと思うのです。
若い時に、自分の世界に引きこもり、失敗を恐れて何もせず、周囲とのコミュニケーションを避ける癖をつけてしまうと、その癖はなかなか直らず、その後の仕事人人生は苦しく、辛いものになってしまいます。
特に組織で働く時は痛切にそのことを感じます。
何せ私自身がそんな感じでしたから。
そんな私自身の反省もあって、フレッシュな新入社員の皆さんには、これからすべてがスタートするのだから、ぜひ「お互い学び合ってでっかい人間になろう!」と呼びかけたいと思います。